さまざまな復興計画
広島市の復興計画についての行政上の対応は、1946(昭和21)年1月に復興局を設置し、2月に復興審議会を発足させた頃から本格化した。この審議会が1948(昭和23)年3月に解散するまで「復興に関する恒久的計画の樹立」を目的に、さまざまな角度から検討がおこなわれた。また、民間からも復興に関する種々の提案や動きがあり、復興を求める声が街に溢れていた。
官民を超えた数々の提案の中で共通することは、広島市を単に昔どおりのまちとして復興するのではなく、敗戦・原爆被災という世界人類史上初の体験を十分に配慮し、恒久平和に結びつけた独自のまちづくりを望む意見であった。
さまざまな復興案が提案されたが、結果的に採用された構想は多くなく、昭和21年秋までに広島復興都市計画として街路、公園(緑地・墓地を含む)基本的な配置計画と、土地区画整理区域が決定された。決定された内容は夢のような構想ではなく、現実的なものだった。
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