広島県飲食業生活衛生同業組合広島市支部と広島市では、
東日本大震災で被災された方々に、戦後ひろしまの復興を支えた食べ物である「お好み焼」を温かい状態で食べていただき、元気を取り戻して欲しいという願いを込め、
協賛企業の協力を得て、今年4月12日と13日、宮城県仙台市の被災地域で出来たての熱い「お好み焼」を提供しました。
今回の活動のきっかけについて聞かせてください。
たまたま、うちの社員3人が大地震のあった3月11日に東京に仕事で行っており、
東京も相当の揺れがあった中、彼らはなんとか岡山まで最終便の飛行機で帰ってきました。
岡山に彼らを迎えに行き、やっと全員帰ってくることが出来ました。
次の週、会社の全体会議を開き、自分たちもあの地震を経験したことから、被災地に何か出来ないかという提案があり、それがきっかけでした。
どのように実行にうつされたのでしょうか。
広島県飲食業衛生同業組合広島支部お好み焼事業部長として、飲食組合から広島市へボランティアの話を提案しました。
広島市も快くこの話を受け入れてくれました。
飲食組合の賛助会員に食材などの協力を呼びかけたところ、わずか5日間ほどでお好み焼の材料など約2,000人分が集まり、トラック(冷蔵車)までも借りることができました。
広島市が段取りをしてくれ、震災から1ヵ月経った4月11日朝、集まった食材を車に積み、お好み焼の焼き手4人と市の職員など総勢7人で広島市役所を出発しました。
高速道路を使い、途中仮眠をとりながら、20時間以上かけて4月12日朝、どうにか仙台に到着しました。
現地での活動について教えて下さい。
初日は、避難場所となっている仙台市立六郷中学校でお好み焼を焼きました。
広島市と仙台市の協力関係が良く、グランドのどの場所で焼くかなど事前の段取りが整っており、スムースに焼くことが出来ました。
この避難場所では自衛隊が食事を作り配給していましたが、1食分(昼食)を自衛隊に休んでもらい、代わりにお好み焼が加えられました。
およそ1時間半で約800食を用意しなくてはいけなかったのですが、現地にオタフクソースの東京と仙台の社員4人(焼き手)が応援にかけつけてくれ、総勢15人で時間内に間に合わせることが出来ました。
その後、避難場所の体育館で、自身も避難者でありながら避難所の世話をしている町内会長さんから私達が紹介され、
「遠くから応援にきてくれてありがとう」という感謝の言葉をいただきました。このことで逆に我々が感動しました。
私達は、被災地が戦後の広島と重なり、お好み焼で広島の復興を支えた先輩たちの気持ちを思いながら焼きました。
被難者の人たちには、すんなりとお好み焼を受け入れてもらい、おいしいという言葉をいただきました。
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