県外海外在住被爆者証言ビデオを収録しました
 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、国内(県外)や海外で生活されている被爆者の証言を収録しています。
 平成28年度は、国内では、山口県(4人)、岡山県(2人)、島根県(1人)、鳥取県(1人)、愛媛県(6人)、高知県(1人)、香川県(1人)在住の被爆者を、海外では、韓国(4人)在住の被爆者を収録しました。
 「駅のホームから待合室へ移動しようと先頭にいた人が戸をあけて『あっ』と言って出した足を引っ込めました。みんなで『何なに』と言ったら、そこにあるのは、生きているのか死んでいるのか分からないような人たち、うめき声だけが聞こえる中に死体の山がありました」
 「『お前そうとうやられとるぞ』と言われて、ふっと振り返ると、シャツがビラビラしていると思って歩いていたのですが、改めて見ると真黒くなっているのが背中の皮膚だったのです。両側にビラビラしていました」
 「太陽の照りつける中を大やけどし、火ぶくれした
収録の様子
人がぞろりぞろりと集まってきました。やけどをしているために座ることも、寝ることも、腰を下ろすこともできません。手もつけられないくらいに焼けていました。彼らはうめきながらじっと立っているわけです」
 「姉の顔は傷が全然なかったんです。色の白いぽっちゃりしたようなきれいな顔をしていました。それが化膿して右目の下から鼻、上下の唇が半分、頬の肉が全部とれて、あごの骨も外れてしまった」
 「やけどをしているから注射も針をさすところを捜すのに時間がかかるんですよ。腕とかにできないから…急所だけちょちょっと処置したら『また明日来るように』と言って十分にできなくて残念に思いました」
 「市内中を歩きまわり、夕方になったころ、軍人たちがブリキの上に死体を一体ずつのせて火葬していました。顔の区別がつかないほどになっていて、名札を見て弟だと分かりました」


 これは、この度収録した証言の一部です。
 証言は、被爆時の状況のほか、県外や海外へ移られた時の状況、その後の生活についても語っています。
 収録した映像は、編集後、館内及びホームページで公開するとともに、平和学習資料として貸出しをする予定です。
 今後も、国内・国外を問わず、貴重な被爆証言を少しでも多く収録し、後世に伝えていきたいと考えています。

(原爆死没者追悼平和祈念館)

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