和文機関紙「平和文化」No.207, 令和3年9月号

広島平和文化センターで働いている人ってどんな人?

 「広島平和文化センターって何をしているの?」「働いているのはどんな人?」という疑問があるのではないでしょうか。
 職員へのインタビュー記事をお届けします。  「平和首長会議」とは、共に核兵器廃絶と世界恒久平和への道を切り開こうという広島・長崎両市の呼び掛けに賛同する世界の都市(自治体)で構成する超党派のNGOで、平和文化センター内に事務局があります。 杉山さんは主に「子どもたちによる“平和なまち”絵画コンテスト」と「平和教育ウェビナー」を担当しています。
 
(廣瀬)平和文化センターに就職したきっかけや経緯と、広島の印象を教えてください。
杉山愛
(杉山)私は大学で歴史学(アジア近現代史:主に1930年代のインドネシア)を専攻しました。 学ぶ中で、やはり少しでも自分の専門に関係し、かつ、社会貢献や公益にかなった分野で仕事がしたいと思うようになりました。 でも、そのような仕事をどう見つければいいか分かりませんでした。 ある日ふと、「原爆資料館」「採用」でネット検索してみたところ、偶然、広島平和文化センターの公募情報が出ていました。 実はその時はまだ、平和記念資料館を平和文化センターが管理運営していることさえ知りませんでした。
 11か月たって、かなり広島にも慣れました。 私の地元には自然が少ないので、大きな川が6本も流れる緑豊かな街は今でも新鮮に感じます。 必要なものがコンパクトに揃っている生活に便利な街という印象ですね。
(廣瀬)杉山さんの大学卒業は今年3月。 昨年10月以降、学業と仕事の両立をしていたわけですね?
(杉山)入職時、卒業まで残すところ卒論の提出のみの状態でした。 担当教授に相談して、広島で卒論を執筆して期限内に提出すれば卒業出来るよう認めてもらいました。 広島に移る段取りをした上で両親や友人に報告したので、みんな驚いただろうと思います。
(廣瀬)新任で仕事をするだけでもとても大変だと思います…同時に卒論まで書くなんて、私にはとても真似できません。
(杉山)私の仕事は比較的ワークライフバランスがとりやすかったので、夕方5時過ぎに仕事を終え、6時には家の机に向かって卒論の執筆開始、夜11時頃まで取り組むという生活が可能でした。 それでも、執筆が佳境に入った時期と仕事の繁忙期が重なったときには、食事はデリバリーで頼む等してやりくりしました。 オンラインデリバリーが普及した年だったので助かりました。
(廣瀬)現在の担当業務について教えてください。
(杉山)「子どもたちによる“平和なまち”絵画コンテスト」は、平和首長会議加盟都市の子どもたちを対象に、平和教育の充実を図ることを目的とした事業です。 4月から絵を募集し、12~1月に入賞作品を選定し、表彰します。 また、平和首長会議会長賞受賞作品をプリントしたクリアファイルを記念品として贈り、広島市内に入賞者がいる場合は表彰式も開きます。 世界中からたくさん応募があるので、特に11月以降は私たち裏方スタッフの作業量も膨大で大変です。 でも、作品を総覧した時や記念品が出来上がった時には充実した気分でした。 また、作品に地域ごとの傾向があることが興味深かったです。 「中東は明るい派手な色が好きなのかな」、「日本は上品な感じ」、「ロシアは丁寧で精巧なものが多いな」とか。 文化背景の違いが出ているのかなと感じました。 これも多様性というのでしょうか。 忙しい中でも、ホッコリする瞬間がありましたね。
 もう一つの「平和教育ウェビナー『世界の青少年による平和活動交流会』」は、国内外の青少年が、自分が携わる平和活動について発表し、相互に意見交換を行う事業で、YouTubeでライブ配信します。 ピーカーの人たちは主に10代20代ですが、発表はとても示唆に富んでいます。 自分の同世代と協働するのは楽しく、前途ある彼らが輝けるように、一生懸命サポートしたいと思っています。
(廣瀬)忙しそうですが、徐々に仕事にも慣れてきた様子の杉山さんの活躍に期待しています。
 
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