第4回広島平和記念資料館展示検討会議

平成23年(2011年)2月9日(水)午後2時〜
広島国際会議場3階 研修室(3)



                    次    第


1 開  会


2 議 題1 核兵器の危険性(東館3階)の展示について 
                      
    資料1 展示ゾーニング図
    資料2 核兵器の危険性(東館3階)の展示構成
    資料3 核兵器の危険性(東館3階)展示案


3 議 題2 広島の歩み(東館2階)の展示について
    
    資料4 展示ゾーニング図
    資料5 広島の歩み(東館2階)の展示構成
    資料6 広島の歩み(東館2階)展示案
 

4 閉  会




資料1

展示ゾーニング図


資料2


核兵器の危険性(東館3階)の展示構成



1 基本計画での整備方針と展示内容

 (1) 目的
     被爆に至った歴史的な経緯や原爆の脅威を解説するとともに、広島・長崎への原爆投下により
   世界が核の時代を迎えたこと、核兵器の存在は人類の生存を脅かす普遍的な問題であると伝える
   ことを目的とする。
   
 (2) 整備方針
   ○核兵器に関する最新の動向を紹介し、時点修正しやすい展示手法とする。
   ○原爆投下の経緯、核兵器の脅威を明確にした客観的な展示とする。

 (3) 展示内容
   ○「原爆の開発から投下まで」の経緯を、公文書などの資料を用い史実に基づいて紹介する。
   ○「原爆の脅威」を伝えるため、原爆の仕組みや、熱線、爆風、放射線による被害などを物理学
    や医学の視点から客観的に紹介する。
   ○広島・長崎への原爆投下以降、世界は人類の生存を脅かす「核の時代」を迎えたことを伝える
    ため、核兵器の開発や保有に関する最新の動向を紹介する。
   ○核抑止論の危険性や核拡散の現状、核兵器の開発による被害、核兵器の使用がもたらす環境へ
    の影響なども紹介し、核兵器の危険性を多角的な視点から解説する。
   ○核拡散の防止や非核地帯の広がりなど「核廃絶の時代へ」向けた取組も紹介する。


  (4) テーマと主な内容

フロア テーマ 主な内容
東館3階  原爆の開発から
 投下まで
 (原子の時代のはじまり)
核分裂と放射線
 (原子爆弾の開発)
マンハッタン計画
 (原爆投下への道)
原爆投下目標の決定、投下の準備、投下理由、原爆投下正当化論の誤り
 原爆の脅威
 ・広島・長崎の被害
 ・学術調査団の活動、広島原爆の仕組み
 ・熱線、爆風、放射線などの科学的知見
 核の時代から
 核廃絶の時代へ

 ・核開発の現状
 ・核被害の実態と予測
 ・核兵器の保有数
 ・核拡散の防止と非核地帯の広がり
 ・核抑止論の危険性
 ・核拡散の危機
 ・核軍縮に向けた世界の動き


2 核兵器の危険性(東館3階)展示構成(事務局案)
 
 (1) 展示構成図

 

  


注)  前頁の基本計画における「テーマと主な内容」をもとに、展示の流れや内容を考慮し、事務
  局が具体的な展示構成図として整理したものです。〔 〕内は、「テーマと主な内容」に示され
  ている項目を、どの部分に整理したかを示すものです。

2) 展示項目と概要と課題

 ア 原爆の開発から投下まで

  (ア) 展示項目と概要

番 号 展示項目 展示概要
@  原子爆弾の開発 放射能の発見による原子の時代の始まりから、米国による「マンハッタン計画」、「トリニティ」実験までの原爆開発の過程を展示する。

 ・核分裂と放射線
 ・マンハッタン計画
A  原爆投下への道 原爆が、どのような過程で、日本に投下されることが決定したのか、なぜ投下都市として広島が選ばれたのかを展示する。

 ・原爆投下目標の決定
 ・投下の準備
 ・投下理由
 ・原爆投下正当化論の誤り


  (イ) 展示手法の課題
      現行の展示手法を生かしながら展示を行う。

  (ウ) 展示資料収集の課題
      現行の展示構成をもとに、現在の展示資料を活用する。

   *検索機器の活用
     多岐にわたる関連情報を来館者のニーズに応じて提供するため、検索機器の導入を展示する。
    また情報資料室で発信することが望ましい情報の選別についても考える。

イ 原爆の脅威
 
  (ア)展示項目と概要

番 号 展示項目 展示概要
@  広島、長崎の原爆被害 広島、長崎に投下された原爆の構造と爆発の仕組み、広島と長崎の被害の概要を展示する(*)。また、原爆投下後の日本の軍や学術調査団、米国の合同調査団、戦略爆撃調査団による調査について展示する。

 ・広島・長崎の被害
 ・広島原爆の仕組み
 ・調査団の活動(基本計画では、学術調査団の活動)
A  原爆被害の科学的知見 熱線の伝播や衝撃波の形成、放出された放射線量など科学的な知見から被害の状況を展示する。また、放射線については、人体へ放射線がどのように影響を及ぼすか医学的な視点からも展示を行う。
 ・熱線、爆風、放射線
  などの科学的知見



  (イ) 展示手法の課題
     ・リトルボーイ模型の活用
     ・爆風による被害などの大型資料の活用
     ・科学的な知見からの被害の状況について、グラフィックパネルや映像を用いてどの程度まで詳細に展示を行うか。 
      ・放射線の実験装置の活用

  (ウ)展示資料収集の課題
     調査団の活動については、過去に企画展を開催した事があり、ある程度、資料の所在を把握し、収集を行っている。
    熱線、爆風、放射線などの科学的知見については、資料館所蔵の資料をもとに展示を構成することができると考えられる。
    長崎の被害については、写真や現物資料等を所蔵していないため、長崎原爆資料館を通じて資料を収集する。


     *被爆の実相を伝える本館と異なり、原爆被害の概要を、科学的データや調査結果などに基づいて解説する。


ウ 核の時代から核廃絶の時代へ

  (ア)展示項目と概要

番号 展示項目 展示概要
@  核兵器の拡散  核拡散の経緯 1945年の米国による核保有以降、ソ連、英、仏、中国と核保有国が増加したことや、その後のインド、パキスタンなどの国々への拡散、近年の北朝鮮の核実験やイランの核開発疑惑など、核拡散の危機について展示する。
 ・核開発の現状
 ・核被害の実態と予測
 ・核兵器の保有数
 ・核抑止論の危険性
 ・核拡散の危機
 核兵器の保有数 各国の核兵器の保有状況の推移や保有数を展示する。また、水爆・中性子爆弾や大陸間弾道ミサイルなどの運搬手段の開発・現状についても展示する。
 核抑止論の危険性 核抑止論による考えとその危険性について展示する。また、朝鮮戦争やキューバ危機など核兵器の使用が検討された事例を展示する。
 核被害の実態と予測 マーシャル諸島やセミパラチンスクなどでの核実験の様子や、実験による被害者や自然環境への影響について、証言などを交えながらその実態を展示する。また、核兵器が使用された場合、被害の予測や「核の冬」による核戦争後の地球への影響について展示する。
A  核軍縮に向けた動き  核軍縮に向けた
 世界の動き
核実験禁止の機運の高まりと部分的核実験禁止条約や核不拡散条約の締結、包括的核実験禁止条約(CTBT)やNPT再検討会議、さらには、平和市長会議等NGOの活動など核軍縮に向けた国際社会の取組について展示する。また米ソの核軍縮について展示する。
 ・核軍縮に向けた世界の   動き
 
 ・非核地帯の広がり
 非核地帯の広がり 世界の非核地帯について展示する。



  (イ)展示手法の課題
    ・グラフィックパネル・映像など最新の展示技術をどの程度活用するか。
    ・現物資料が少ないので、写真、新聞記事、図表、証言などを組み合わせてどのように分かりやすく展示するか。
     ・最新の情報を反映させるための時点修正しやすい展示手法の検討

 (ウ)展示資料収集の課題
    現状の展示資料以外は、ほとんど所蔵していないため、新たに資料の所在を確認し、収集する必要がある。
   写真や映像については、報道機関や米国立公文書館などを通じて資料を収集することが考えられる。
   また、核の被害の実態については、調査を行っている研究者や報道機関を通じて、手記や写真などを収集することが考えられる。

 

資料3


核兵器の危険性(東館3階)展示案

ア 原爆の開発から投下まで


  

 展示整備上の制約

 ・展示室の中央にある非常階段の周囲には、パネルを設置できない。
 ・北側の窓に面した部分は休憩コーナーとして活用する。


@ 原子爆弾の開発

 展示概要
 放射能の発見による原子の時代の始まりから、米国による「マンハッタン計画」、「トリニティ」実験までの原爆開発の過程を展示する。
 展示資料

現物資料

(現)アインシュタインの名前でアメリカのルーズベルト大統領に新型爆弾の研究を促した手紙(複製)1939年(昭和14年)8月2日

(現)原爆実験場の砂が高熱で固着し、ガラス状に変化したトリニタイト


写 真

(現)核分裂を発見したオットー・ハーンとそれを立証したリーゼ・マイトナー 1913年(大正2年)

(現)アインシュタインと実際に手紙を起草したシラード

(現)テネシー州オークリッジのウラン濃縮工場  1945年(昭和20年)

(現)原爆爆発実験「トリニティ」  1945年(昭和20年)7月16日

(現)原爆実験場跡で結果を確かめる関係者  1945年(昭和20年)9月


映 像

(現)原爆爆発実験「トリニティ」  1945年(昭和20年)7月16日


その他

(現)原子の構造図

(現)放射線の種類と性質を示した図

(現)核分裂の連鎖反応を示した図

A 原爆投下への道

 展示概要
 原爆が、どのような過程で、日本に投下されることが決定したのか、なぜ投下都市として広島が選ばれたのかを展示する。
 展示資料

現物資料

(現)軍事政策委員会政策会議の議事録(複製) 1943年(昭和18年)5月5日

(現)「チューブ・アロイズ」の覚書(複製) 1944年(昭和19年)9月18日

(現)第1回目標検討委員会の議事録(複製) 1945年(昭和20年)4月27日

(現)ジェームズ・バーンズ戦時動員局長官(後の国務長官)からルーズベルト大統領にあてた覚書(複製) 1945年(昭和20年)3月3日

(現)暫定委員会の議事録(複製) 1945年(昭和20年)6月1日

(現)ヘンリー・スティムソン陸軍長官の日記(複製) 1945年(昭和20年)6月6日、7月24日

(現)無警告の使用に反対した「フランク報告」(複製) 1945年(昭和20年)6月11日

(現)原爆投下命令書(複製) 1945年(昭和20年)7月25日

(現)野戦命令第13号(複製) 1945年(昭和20年)8月2日

(現)「エノラ・ゲイ」の乗組員の双眼鏡
  ・原爆投下理由についてヘンリー・スティムソン陸軍長官の論文が掲載された雑誌「ハーパーズ」(複製)  1947年(昭和22年)2月号


写 真

(現)ルーズベルトとチャーチルの会談  1944年(昭和19年)9月12日

(現)ヤルタ会談に臨んだ3首脳(チャーチル、ルーズベルト、スターリン) 1945年(昭和20年)2月

(現)原爆投下用の広島の航空写真 1945年(昭和20年)4月

(現)ポツダム会談  1945年(昭和20年)7月25日
 
 ・「リトル・ボーイ」をピットに降ろす  1945年(昭和20年)8月
 
 ・ピット上に移動する「エノラ・ゲイ」  1945年(昭和20年)8月
 
 ・ピットの中の「リトル・ボーイ」  1945年(昭和20年)8月


映 像

(現)投下目標都市の変遷

(現)運ばれる「リトル・ボーイ」  1945年(昭和20年)8月


その他

(現)模擬爆弾「パンプキン」の投下場所を示した地図

(現)エノラ・ゲイの航路図

(現)原爆の投下からさく裂までの図


イ 原爆の脅威

   

 展示整備上の制約
 ・展示スペースの北側に3階から2階へ向かうエスカレーターを設置
 ・展示スペースの北側にエレベーター有り。


@ 広島、長崎の原爆被害

 展示概要
 広島、長崎に投下された原爆の構造と爆発の仕組み、広島と長崎の被害の概要を展示する。
 また、原爆投下後の日本の軍や学術調査団、米国の合同調査団、戦略爆撃調査団による調査について展示する。
 展示資料

現物資料

(現)爆発測定無線装置と投下用の落下傘の布
  
 ・長崎の被爆資料(被爆した十字架の一部、熱線を浴びた瓦)
  
 ・敵性情報としてトルーマン声明を伝える文書(複製) 1945年(昭和20年)8月7日
  
 ・被爆直後の新型爆弾投下を伝える新聞記事(複製) 1945年(昭和20年)8月8日

(現)感光したレントゲンフィルム

(現)放射線測定のために採取された被爆の砂

(現)爆心地の測定に利用された花崗岩と測定に使用した傾斜計

(現)広島爆撃調査報告書の草案(複製) 1945年(昭和20年)8月
  
 ・原子爆弾についての解説が掲載された新聞記事(複製) 1945年(昭和20年)8月16日
  
 ・海外特派員による新聞記事(複製) 1945年(昭和20年)8月30日
  
 ・爆心地測定図(複製)
  
 ・学術調査団の日誌(複製) 1945年(昭和20年)9月〜10月
  
 ・原爆被災記録映画の撮影記録報告用紙(複製) 1945年(昭和20年)10月5日
  
 ・米国へ輸送される原爆被災記録映画のフィルムを伝える新聞記事(複製) 1946年(昭和21年)5月13日


写 真

(現)広島に投下された原子爆弾「リトル・ボーイ」
  
 ・長崎に投下された原子爆弾「ファット・マン」
  
 ・長崎の爆心地付近のパノラマ  1945年(昭和20年)10月
  
 ・被爆直後に広島市内に入った調査団  1945年(昭和20年)8月
  
 ・学術調査団の調査の様子  1945年(昭和20年)10月
  
 ・米国側の調査団  1945年(昭和20年)10月〜11月


市民が描いた原爆の絵

(現)原子爆弾投下の瞬間


映 像

 ・広島原爆さく裂の映像  1945年(昭和20年)8月6日
  
 ・長崎原爆さく裂の映像  1945年(昭和20年)8月9日

(現)米国調査団の被爆後の広島の撮影映像(熱線、爆風の影響など) 1945年(昭和20年)10月

(現)日本映画社撮影の原爆被災記録映画  1945年(昭和20年)9月〜10月


その他

(現)「リトル・ボーイ」原寸大模型

(現)「リトル・ボーイ」の構造図

 ・「ファット・マン」の構造図

 ・広島、長崎の被害の概要(爆弾の破壊力、全壊・全焼地図、人的被害、外国人被爆者など)


A 原爆被害の科学的知見

 展示概要
 熱線の伝播や衝撃波の形成、放出された放射線量など科学的な知見から被害の状況を展示する。
 また、放射線については、人体へ放射線がどのように影響を及ぼすか医学的な視点からも展示を行う。
 展示資料

現物資料

(現)焼き抜かれた文字

(現)花崗岩の献花台

(現)鉄平石

(現)ガラス片が突き刺さったままの壁

(現)ゆがんだ鉄扉

(現)爆風により飛散した紙幣


写 真

(現)ガスタンクに残ったハンドルの影  1945年(昭和20年)10月15日

(現)歩道部分が大きく持ち上げられた橋げた 1945年(昭和20年)10月頃
 
 ・染色体異常を示す写真


映 像

(現)広島に投下された原子爆弾の放射線

(現)放射線が人体に及ぼす影響

(現)米戦略爆撃調査団撮影映像(熱線、爆風の影響) 1946年(昭和21年)3月〜4月


その他

(現)放射線による影響が大きい人体部分
 
 ・火球の大きさを示した図

(現)原爆によって引き起こされた傷害のおおよその距離分布

(現)爆風圧による被害を示した図

(現)飛散物の進行方向を示した図

(現)被ばく線量と症状を示した図


ウ 核の時代から核廃絶の時代へ


   

 展示整備上の制約
 展示スペースの北側に3階から2階へ向かうエスカレーターを設置

@‐1 核兵器の拡散(核拡散の経緯)

 展示概要
 1945年の米国による核保有以降、ソ連、英、仏、中国と核保有国が増加したことや、その後のインド、パキスタンなどの国々への拡散、近年の北朝鮮の核実験やイランの核開発疑惑など、核拡散の危機について展示する。
 展示資料
 
写 真

(現)ビキニ環礁での核実験のきのこ雲 1946年(昭和21年)7月25日

(現)ムルロア環礁での核実験のきのこ雲

  ・ネバダ核実験場  1974年(昭和49年)頃

(現)インドの核実験場  1998年(平成10年)
  
 ・NPT再検討会議から北朝鮮の脱退を伝える新聞記事(複製) 2005年(平成17年)1月11日
  
 ・北朝鮮の核実験を伝える新聞記事(複製) 2010年(平成22年)5月26日
  
 ・米国の臨界前核実験を伝える新聞記事(複製) 2010年(平成22年)10月14日


映 像

(現)マーシャル諸島、ネバダでの核実験 1946年(昭和21年)〜1954年(昭和29年)


その他

(現)原爆と水爆の原理の模式図


@‐2 核兵器の拡散(核兵器の保有数)

 展示概要
  各国の核兵器の保有状況の推移や保有数を展示する。また、水爆・中性子爆弾や大陸間弾道ミサイルなどの運搬手段の開発・現状についても展示する。
 展示資料
 
写 真

 ・米国の大陸間弾道ミサイルの開発について伝える新聞記事(複製) 1977年(昭和52年)10月8日

(現)潜水艦から発射された弾道ミサイル
 
 ・新型核兵器の研究を伝える新聞記事(複製)2003年(平成15年)4月


映 像

(現)発射された弾道ミサイル


その他

(現)核の地球儀

(現)核弾頭の数を示す表

(現)核保有5カ国(米・英・露・仏・中)の核弾頭の推移を示した図


@‐3 核兵器の拡散(核抑止論の危険性)

 展示概要
  核抑止論による考えとその危険性について展示する。また、朝鮮戦争やキューバ危機など核兵器の使用が検討された事例 を展示する。
 展示資料
 
写 真

(現)キューバ問題について国連安保理での議論を伝える新聞記事(複製) 1962年(昭和37年)10月24日
 
 ・インドの弾道ミサイル実験を伝える新聞記事(複製) 1999年(平成11年)4月12日
  
 ・パキスタンの弾道ミサイル実験を伝える新聞記事(複製) 1999年(平成11年)4月15日


その他

(現)核兵器の使用が検討された事例を示した年表


@‐4 核兵器の拡散(核被害の実態と予測)

 展示概要
  マーシャル諸島やセミパラチンスクなどの核実験による被害者や自然環境への影響について、証言などを交えながらその実態を展示する。また、核兵器が使用された場合、被害の予測や「核の冬」による核戦争後の地球への影響についても展示する。
 展示資料
 
現物資料

 ・被ばくした第五福竜丸で使用された漁具・日用品
  
 ・「LIFE」、「アサヒグラフ」など核実験を特集した記事が掲載された雑誌
 
 ・核戦争の危機、核戦争後の地球を書いた書籍
   (「地球の運命」、「風が吹くとき」、「核の冬」など)
 

写 真

 ・セミパラチンスク核実験場  1995年(平成7年)5月
  
 ・マーシャル諸島、セミパラチンスク、ネバダなどの核実験で被ばくした人々
  
 ・マーシャル諸島、セミパラチンスク核実験場の周辺で暮らす人々
  
 ・証言する被ばくしたマーシャル諸島の住民  2004年(平成16年)3月1日


映 像

(現)核の冬を再現した映像


その他

 ・核実験に伴うマーシャル諸島の住民の移動を示した図
 
 ・世界の核実験場を示した地図
 
 ・マーシャル諸島、セミパラチンスクの住民、第5福竜丸乗組員などの証言
 
 ・世界の都市に核兵器が投下された場合の核被害の広がりを示す映像や図表など


A‐1 核軍縮に向けた動き(核軍縮に向けた世界の動き)

 展示概要
 核実験禁止の機運の高まりと部分的核実験禁止条約や核不拡散条約の締結、包括的核実験禁止条約(CTBT)やNPT再検討会議、さらには、平和市長会議等NGOの活動など核軍縮に向けた国際社会の取組について展示する。また米ソの核軍縮について展示する。
 展示資料

写 真

 ・水爆の実験に反対し、座り込みを行う人々 1957年(昭和32年)3月30日
  
 ・18カ国軍縮委員会の開催  1962年(昭和37年)3月
  
 ・部分的核実験禁止条約の調印  1963年(昭和38年)10月7日
  
 ・国連総会での核不拡散条約(NPT)の承認決議を伝える新聞記事(複製) 1968年(昭和43年)6月13日
  
 ・ソ連の核不拡散条約の調印を伝える新聞記事(複製) 1968年(昭和43年)7月1日
  
 ・第1回国連軍縮特別総会の開催を伝える新聞記事(複製) 1978年(昭和53年)5月
  
 ・ニューヨークでの反核デモ  1982年(昭和57年)5月
  
 ・第1回世界平和連帯都市市長会議(現 平和市長会議) の開催 1985年(昭和60年)8月
  
 ・カザフスタンでの核実験の反対のデモ  1989年(平成元年)8月6日
  
 ・中距離核戦力全廃条約の署名  1987年(昭和62年)12月8日
  
 ・第1次戦略兵器削減条約(STARTT)に調印  1991年(平成3年)7月31日
  
 ・核不拡散条約(NPT)の無期限延長を伝える新聞記事(複製) 1995年(平成7年)5月12日
  
 ・包括的核実験禁止条約への各国の署名を伝える新聞記事(複製) 1996年(平成8年)9月25日
  
 ・米国とロシアの戦略攻撃兵器削減条約の調印  2002年(平成14年)5月25日
  
 ・NPT再検討会議の最終文書の採択を伝える新聞記事(複製) 2010年(平成22年)5月29日
  
 ・ロシア議会の新戦略兵器削減条約(新START)の批准承認を伝える新聞記事(複製) 2011年(平成23年)1月27日


映 像

(現)第1次戦略兵器削減条約(STARTT)に調印  1991年(平成3年)7月31日


A‐2 核軍縮に向けた動き(非核地帯の広がり)

 展示概要
 世界の非核地帯について展示する。
  展示資料
 
その他

(現)世界の非核地帯の地図



資料4


    

                                   

資料5


 広島の歩み(東館2階)の展示構成

 1 基本計画での整備方針と展示内容
  
   (1) 目的
       未曾有の被害から復興を成し遂げた被爆都市ヒロシマの核兵器廃絶や世界恒久平和の実現に向けた
     今日までの取組を解説するとともに、ヒロシマから世界へメッセージを伝えることにより、来館者に平和の
     実現に向けた思いを新たにしてもらうことを目的とする。
   
   (2) 整備方針
     ○年表形式などによる事象の羅列を避け、個々の事象の意義・内容を解説していく。
    ○市の平和への取組など、最新の動向を紹介し、時点修正しやすい展示とする。
     ○広島の歩みの展示では、原爆は戦争によってもたらされたものであり、その結果として広島が復興に向けた
      苦難の歩みをたどらざるを得なかったことから、戦時下の広島についても紹介する。

   (3) 展示内容
     ○戦時下の広島と戦争では、当時の広島市内の状況や戦争との関わり、人々の暮らしについて紹介する。
     ○廃虚の中から今日に至る「ヒロシマの復興と支援」の経過や、復興を後押しした事象などを紹介する。
     ○復興に向けて海外から様々な支援があったことなどについても紹介する。
     ○都市が復興する一方で被爆者の支援が立ち遅れたことや苦労の中から被爆者自身が立ち上がり被爆者
      援護施策を求めていったことを紹介する。
     ○核兵器廃絶に向けた市や市民、被爆者団体などの被爆都市ヒロシマからの取組を「平和への取組」として紹介する。

(4) テーマと主な内容

フロア テーマ 主な内容
東館2階  ヒロシマの復興と支援
 ・戦時下の広島と戦争
 ・被爆直後の混乱期、占領下での復興
 ・精神養子運動など海外からの支援
 ・被爆者援護施策の成り立ちと拡充
 ・広島平和記念都市建設法と復興事業
平和への取組
 ・平和記念式典
 ・被爆者団体
 ・平和運動
 ・平和市長会議
 ・被爆体験の継承・伝承
 ・世界から届く平和へのメッセージ
 ・核実験への抗議


2 広島の歩み(東館2階)展示構成(事務局案)
  
 (1) 展示構成図

  

注)  前頁の基本計画における「テーマと主な内容」をもとに、展示の流れや内容を考慮し、事務局が具体的な展示構成図として整理したものです。
   〔 〕内は、「テーマと主な内容」に示されている項目を、どの部分に整理したかを示すものです。

(2) 展示項目と概要と課題

 ア ヒロシマの復興と支援

  (ア) 展示項目と概要

番 号 展示項目 展示概要
@  戦時下の広島と戦争 日清戦争から太平洋戦争までの広島と戦争との関わり、市民生活について展示する。
A  被爆直後の混乱と占領下での復興 被爆直後の混乱と終戦から占領という社会の大きな変化を経て、広島市民が食糧難、資金難に苦しみながらも焦土から立ち上がり、再建へ向かう様子を展示する。
 ・被爆直後の混乱期、占領下の復興
B  海外からの支援 被爆者、広島市民の大きな支えとなった精神養子運動や「広島の家」建設など海外からの支援活動を紹介する。
 ・精神養子など海外からの支援
C  広島平和記念都市建設法と復興事業 戦後の広島の復興について、広島平和記念都市建設法の制定と同法に支えられて進められた平和記念公園や百メートル道路、橋梁の整備などによって展示する。
D  被爆者援護施策の成り立ちと拡充
被爆者自身が援護を求めて立ち上がり、原爆医療法や原爆特別措置法が制定された過程、及びその後の援護施策の拡充について展示する。


  (イ) 展示手法の課題
    ・端末装置などを使用した展示手法の検討
    ・年表展示をどのように行うか

  (ウ) 展示資料収集の課題
      広島市の復興や海外からの支援については、過去に企画展を開催しており、ある程度、資料の所在を把握し、
    収集を行っている。「戦時下の広島と戦争」、「被爆者援護施策の成立ちと拡充」については、現行の展示資料以外に
    広島市の公文書館や文化担当、報道機関のデータベースをもとに資料を収集することが考えられる。

イ 平和への取組

  (ア) 展示項目と概要

番 号 展示項目 展示概要
@  広島市の取組 平和記念式典の歩み、平和市長会議、核実験への抗議など、広島市の核兵器廃絶に向けた取組について展示する。
 ・平和記念式典
 ・平和市長会議
 ・核実験への抗議
A  市民による平和運動 原水爆禁止世界大会や核廃絶を訴え続ける被爆者団体の活動など市民による平和運動について展示する。
 ・被爆者団体
 ・平和運動
B  被爆体験の継承・伝承 原爆ドーム、被爆建造物、被爆樹木などの保存や、被爆体験証言者やピースボランティアの活動、原爆を題材とした映画、美術作品など被爆体験を継承・伝承するためのさまざまな取組みを展示する。
C  国際化するヒロシマ・ナガサキ 国連軍縮特別総会での広島市長や被爆者の訴え、世界の人々による核廃絶のデモ行進や海外で行われている原爆展や式典などを展示する。また、平和記念資料館や平和記念公園を訪れた海外の人々の平和へのメッセージを展示する。
 ・世界から届く平和へのメッセージ


  (イ) 展示手法の課題
     ・端末装置などを使用した展示手法の検討
 
  (ウ) 展示資料収集の課題
     現行の展示資料以外では、市民として平和活動を行った吉川清氏や河本一郎氏の資料を所蔵しているが、より幅広い
    内容を網羅するためには、新たに資料を収集する必要がある。広島市の関係部署や被爆者団体の協力を得ながら、また
    報道機関のデータベースをもとに資料の収集を行うことが考えられる。


資料6


  広島の歩み(東館2階)展示案

ア ヒロシマの復興と支援


  

 展示整備上の制約
 展示スペースの南側に3階から2階に向かうエスカレーター、2階から1階に向かうエスカレーターを設置


@ 戦時下の広島と戦争

 展示概要
 日清戦争から太平洋戦争までの広島と戦争との関わり、市民生活について展示する。
 展示資料
 
現物資料

(現)戦時下の市民生活を示す資料(灯火管制用電球、防空頭巾、衣料切符など)

(現)金属類回収ポスター(複製)、空襲への備えを説明したポスター(複製)

(現)太平洋戦争中にまかれたビラ


写 真

(現)市制施行当初の広島市役所

(現)日清戦争当時、宇品港に停泊する輸送船と出動部隊を運ぶ小舟

(現)西練兵場内に建てられた帝国議会仮議事堂

(現)軍関係施設(陸軍運輸部、似島検疫所)
 
 ・近代的なビルが建ち並ぶ紙屋町交差点 1935年(昭和10年)頃

(現)中国大陸の戦場へ出発する兵士、兵士の遺骨帰還

(現)防空演習、学徒動員、学童疎開、建物疎開など戦時下の市民生活 1940年(昭和15年)頃〜1945年(昭和20年)

(現)強制連行の朝鮮人などによって建設中のダム 1943年(昭和18年)


映 像

 ・戦前の広島市内  1936年(昭和11年)


その他

(現)市域の移り変わりを示した図表

(現)市内の軍用地を示した図


A 被爆直後の混乱と占領下での復興

 展示概要
 被爆直後の混乱と終戦から占領という社会の大きな変化を経て、広島市民が食糧難、資金難に苦しみながらも焦土から立ち上がり、再建へ向かう様子を展示する。
 展示資料
 
現物資料

(現)広島市教育復興宝くじ
 
 ・Living Hiroshima  1949年(昭和24年)5月

(現)検閲印のある郵便物

(現)雑誌「ギンノスズ」 1950年(昭和25年)7月
 
 ・峠三吉詩集 1951年(昭和26年)
 
 ・原子焼


写 真

(現)焼け跡に建てられたバラック  1945年(昭和20年)10月15日
 
 ・広島駅前の闇市 1946年(昭和21年)春
  
 ・行進する占領軍 1946年(昭和21年)

(現)平和復興市民大会 1946年(昭和21年)8月5日
  
 ・簡易住宅が建ち並ぶ基町一帯 1947年(昭和22年)6月
  
 ・中国新聞社からのパノラマ 1947年(昭和22年)8月
  
 ・占領軍のための英語の看板 1947年(昭和22年)8月
  
 ・市役所付近での麦刈り 1948年(昭和23年)5月

(現)相生橋の復旧工事 1949年(昭和24年)
  
 ・市内の定点の撮影 1945年(昭和20年)〜1953年(昭和28年)
  
 ・ドーム周辺の土産物店 1951年(昭和26年)


映 像

(現)米戦略爆撃調査団撮影映像(市民生活編) 1946年(昭和21年)3月〜4月


B 海外からの支援

 展示概要
 被爆者、広島市民の大きな支えとなった精神養子運動や「広島の家」建設など海外からの支援活動を紹介する。
 展示資料

現物資料

 ・援助物資の脱脂粉乳の紙容器
  
 ・精神養子の募集のチラシ(複製)
  
 ・精神養子から精神親へ贈られた人形としゃもじ
  
 ・精神養子から精神親への手紙、精神親から精神養子への手紙
  
 ・「広島の家」の最終報告書(複製)
  
 ・冊子「広島憩いの家」、「広島憩いの家」の表札


写 真

 ・ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」が掲載された雑誌「ニューヨーカー」(複製) 1946年(昭和21年)8月31日
  
 ・ララ物資を受け取って喜ぶ子どもたち 1947年(昭和22年)ごろ
 
 ・養子となった子どもを抱きかかえるノーマン・カズンズ氏  1951年(昭和26年)1月9日
  
 ・「広島の家」を建設するフロイド・シュモー氏 1952年(昭和27年)10月4日

(現)広島市児童図書館の開館 1952年(昭和27年)12月
  
 ・江波皿山のふもとに建設された「広島の家」

(現)マウント・サイナイ病院でのケロイド治療 1955年(昭和30年)〜1956年(昭和31年)
  
 ・「広島憩いの家」開所式に出席したモリス夫妻 1957年(昭和32年)5月2日


映 像

 ・被爆から「広島の家」の建設経緯を再現したフロイド・シュモー氏製作の映像


その他

 ・「広島の家」の間取り図
 


C 広島平和記念都市建設法と復興事業

 展示概要
  戦後の広島の復興について、広島平和記念都市建設法の制定と同法に支えられて進められた平和記念公園や百メートル道路、 橋梁の整備などによって展示する。
 展示資料

現物資料

 ・広島平和都市建設記念シール
  
 ・復興大博覧会関連資料(ポスター、施設案内、入場券など)


写 真

(現)広島平和記念都市建設法の住民投票を呼び掛ける広報車 1949年(昭和24年)7月4日

(現)広島平和記念都市建設法の住民投票の啓発ポスター 1949年(昭和24年)
  
 ・橋梁の整備 1951年(昭和26年)11月26日
  
 ・平和大通りの建設 1952年(昭和27年)
  
 ・平和記念公園の整備 1952年(昭和27年)
  
 ・幹線道路の拡幅 1953年(昭和28年)7月

(現)広島復興大博覧会の開催 1958年(昭和33年)4月1日〜5月20日


その他

 ・広島平和記念都市建設計画図


D 被爆者援護施策の成り立ちと拡充

 展示概要
  被爆者自身が援護を求めて立ち上がり、原爆医療法や原爆特別措置法が制定された過程、及びその後の援護施策の拡充について展示する。
 展示資料

現物資料

 ・原爆障害者診療経過報告
  
 ・被爆者健康手帳(複製)
  
 ・特別被爆者健康手帳交付願


写 真

 ・比治山に建設される原子爆弾傷害調査委員会(ABCC)の建物 1951年(昭和26年)
  
 ・原爆被害者の会の結成 1952年(昭和27年)8月10日
  
 ・原対協による被爆者の診察会 1953年(昭和28年)1月18日
  
 ・原爆病院の建設 1956年(昭和31年)9月
  
 ・被爆者健康手帳の交付を待つ人々 1957年(昭和32年)6月3日

(現)第1回後障害研究会 1959年(昭和34年)
  
 ・韓国人被爆者への手帳の交付 1974年(昭和49年)7月30日
  
 ・特別葬祭給付金の申請 1995年(平成7年)7月1日
  
 ・在外被爆者の診察
  
 ・放射線被曝者医療国際協力推進協議会(略称:放医協 HICARE)の活動


その他

(現)被爆者援護年表


イ 平和への取組

  

 展示整備上の制約  
 展示スペースの南側に3階から2階に向かうエスカレーター、2階から1階に向かうエスカレーターを設置


@ 広島市の取組

 展示概要
 平和記念式典の歩み、平和市長会議、核実験への抗議など、広島市の核兵器廃絶に向けた取組みについて展示する。
 展示資料

現物資料

(現)平和宣言
 
 ・平和祭ポスター(複製)

(現)核実験に対する抗議文

(現)広島原爆戦災誌など原爆の被害について広島市がまとめた書籍


写 真

(現)第1回平和祭 1947年8月6日
  
 ・慰霊碑前での初めての平和記念式典 1952年(昭和27年)8月6日
  
 ・平和の灯が完成して初めての平和記念式典 1964年(昭和39年)8月6日
  
 ・内閣総理大臣が初めて参列した平和記念式典 1971年(昭和46年)8月6日

(現)第6回平和市長会議被爆60周年記念総会 2005年(平成17年)8月
  
 ・海外での原爆展の開催 1998年(平成10年)1月30日〜2月19日

(現)全米での原爆展の開催 2008年(平成20年)3月


映 像

(現)平和記念式典

(現)平和市長会議


その他

(現)平和市長会議加盟都市を示した世界地図
 
 ・海外原爆展開催都市を示した世界地図


A 市民による平和運動

 展示概要
 原水爆禁止世界大会や核廃絶を訴え続ける被爆者団体の活動など市民による平和運動について展示する。
 展示資料

現物資料

 ・第1回原水爆禁止世界大会趣意書(複製)
  
 ・第1回原水爆禁止世界大会ポスター(複製)


写 真

 ・世界連邦アジア会議の開催 1952年(昭和27年)11月
  
 ・第1回原水爆禁止世界大会 1955年(昭和30年)8月8日
  
 ・広島県原爆被害者団体協議会の結成 1956年(昭和31年)5月27日
  
 ・広島県原爆被害者大会 1956年(昭和31年)8月7日
  
 ・核実験抗議の座り込み 1957年(昭和32年)
  
 ・国民平和大行進 1959年(昭和34年)8月4日
  
 ・在韓被爆者との交流のため韓国へ向かう広島折鶴の会員 1971年(昭和46年)8月18日
  
 ・NGOによる被爆問題シンポジウム 1977年(昭和52年)8月5日
  
 ・国連軍縮特別総会開催中の核廃絶のデモ行進 1978年(昭和53年)5月27日
  
 ・被爆者の国連での訴えを伝える新聞記事(複製) 1988年(昭和63年)6月8日


B 被爆体験の継承・伝承

 展示概要
  被爆建造物、被爆樹木などの保存や、被爆体験証言者やピースボランティアの活動、原爆を題材とした映画、美術作品など被爆体験を継承・伝承するためのさまざまな取組みを展示する。
 展示資料

現物資料

 ・被爆体験記
  
 ・「広島壊滅の時」、「生きている広島」などの写真集
  
 ・「はだしのゲン」原画
  
 ・映画「はだしのゲン」のチラシ
  
 ・爆心地復元地図
  
 ・10フィート映画運動を呼び掛けたビラ
  
 ・10フィート映画完成試写会の案内
 

写 真

(現)撮影すすむ「原爆の子」 1952年(昭和27年)6月5日
  
 ・平和記念資料館の開館 1955年(昭和30年)8月23日
  
 ・爆心地付近の復元地図作成 1968年(昭和43年)8月4日
  
 ・市民が描いた原爆の絵の展示 1976年(昭和51年)8月1日
  
 ・10フィート映画運動により入手した映像の上映 1981年(昭和56年)7月4日
  
 ・高校生たちによる被爆瓦の収集と碑の建立 1982年(昭和57年)7月3日
  
 ・「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」 1983年(昭和58年)6月9日
  
 ・被爆者証言映像の収録 1985年(昭和60年)8月29日
  
 ・原爆ドームの世界遺産化 1996年(平成8年)12月6日
  
 ・ヒロシマ ピース ボランティアの活動 1999年(平成11年)4月3日
  
 ・修学旅行生に被爆体験を証言する被爆者 1997年(平成9年)5月
  
 ・被爆建造物 旧日本銀行広島支店 2008年(平成20年)5月12日
  
 ・被爆樹木 シダレヤナギ 2008年(平成20年)5月21日


C 国際化するヒロシマ・ナガサキ

 展示概要
  国連軍縮特別総会での広島市長や被爆者の訴え、世界の人々による核廃絶のデモ行進や海外で行われている原爆展や式典などを展示する。また、平和記念資料館や平和記念公園を訪れた海外の人々の平和へのメッセージを展示する。
  展示資料

写 真

 ・国連軍縮特別総会に合わせて行われた原爆写真展 1978年(昭和53年)6月2日
  
 ・国連軍縮特別総会に合わせて行われた核廃絶のデモ行進 1982年(昭和57年)6月

(現)国連での広島市長の訴え 1982年(昭和57年)6月24日
  
 ・独フュルト市の広島平和祈念碑と平和式典
  
 ・米シアトル市のサダコ像と平和公園
  
 ・インド、ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ平和博物館

(現) 平和記念資料館を見学するローマ法王 ヨハネ・パウロ二世 1981年(昭和56年)2月25日

(現) マザー・テレサの祈り 1984年(昭和59年)11月23日


その他

(現)来館者からの平和へのメッセージ