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  平和なくらしがもどってきた。

  戦争が終わりました。「75年間は草木もはえないだろう」といわれた広島にも、すこしずつ建物(たてもの)がたち、人がもどってきました。サダコさんの一家も、ふたたび広島の中心部で理髪店(りはつてん)を開くことになりました。

幟町(のぼりちょう)小学校に入学したときのサダコさん。
(1949年4月、提供:佐々木繁夫)

 やがて妹の美津江(みつえ)さんが誕生(たんじょう)し、サダコさんが幟町(のぼりちょう)小学校に入学した翌年(よくねん)には、弟の英二さんも生まれて、家族は6人になりました。理髪店の仕事でいそがしいお父さん、お母さんのかわりに、弟妹のせわやそうじをするのは、サダコさんとお兄さんです。このころの子どもたちはよく家の仕事をてつだっていました。家族みんなが助け合ってくらしていました。
このころのこどものヘアスタイル
矢印を絵に重ねると説明がでます。


クラスがひとつになってリレーで優勝(ゆうしょう)


 サダコさんはクラスでもずばぬ けて運動(うんどう)のできる少女でした。

竹組のリレー選手たち。 前の列まんなかがサダコさん。
(1954年10月、撮影:野村 (つよし)(サダコさんの担任の先生)提供:佐々木繁夫)

 6年生のとき、春の運動会のリレーで、サダコさんたちの竹組はバトンタッチに失敗して学年で最下位 になってしまいました。そこで、毎日放課後、みんなでリレーの練習をすることになりました。そのなかで光っていたのがサダコさんです。スピードじまんの男子もかないません。

 練習のかいあって、秋の運動会では、竹組はあっとうてきな強さで優勝!
 
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