そのころの日本


軍都ひろしま。
広島には、たくさんの学校が作られ学都(学問の(みやこ))と()ばれる一方で、軍都とも()ばれていました。1871(明治4)年、全国でもっとも早く軍隊がおかれた町のひとつが広島だったのです。特に日清戦争(にっしんせんそう)(1894-1895)、日露戦争(にちろせんそう)(1904-1905)の時には、広島市の宇品港(うじなこう)から戦場に向け、兵士が出兵したり物資(ぶっし)が運ばれたため、全国から人や物が広島に集まってにぎわうようになりました。軍の施設(しせつ)も多くつくられ、サダコさんが生まれた1943(昭和18)年には、当時の広島市の面 積の約10%を軍関係の施設(しせつ)()めるほどになっていました。

日清戦争(にっしんせんそう)で広島入りした明治天皇
日清戦争中は広島で国会が開かれ、臨時の首都のようになりました。
錦絵(にしきえ)「広島国会仮議事堂(かりぎじどう)の図」
1894(明治27)年 所蔵:広島市中央図書館
陸軍糧秣(りょうまつ)支廠(ししょう)(軍の食料などを作っているところ)で缶詰を作っている。陸軍の缶詰工場は日本中で広島にしかありませんでした。

所蔵:内山滋
提供:広島市郷土資料館