戦争中の人々の暮くらし


「ほしがりません勝つまでは」
戦争が長くなるにつれ、人々の生活はだんだん苦しくなっていきました。食料や衣服、燃料(ねんりょう)など生活に欠かせない物も自由に手に入れることができなくなり、みんな、政府(せいふ)から配られるキップを持って配給を受けるようになりました。
それでも、人々は「ほしがりません勝つまでは」とか「ぜいたくは(てき)だ」といったスローガンで自分たちをはげましながら不自由な生活にたえていました。

校庭の畑作り作業
食料不足を補うため、学校の校庭までが畑として使われるようになりました。
幟町国民学校 1945(昭和20)年
  所蔵:山之上弘子
  提供:広島市公文書館