そのころの広島
   

空襲警報(くうしゅうけいほう)
1944(昭和19)年の秋ごろから、アメリカ軍の飛行機が日本の上空に飛んできて、爆弾(ばくだん)を落とすようになりました。これが「空襲(くうしゅう)」です。アメリカ軍の飛行機が近づくと、空襲警報(くうしゅうけいほう)のサイレンが鳴り、人々は防空壕(ぼうくうごう)避難(ひなん)します。
1945(昭和20)年に入ると、日本の大きな都市は次々にアメリカ軍の空襲(くうしゅう)を受け、大きな被害(ひがい)を受けました。しかし、広島は警報(けいほう)のサイレンが鳴るだけで、実際(じっさい)に本格的な空襲(くうしゅう)を受けることはほとんどありませんでした。


広島市内比治山(ひじやま)町内会による防空訓練 1942(昭和17)年
所蔵:山本 実 提供:広島市

広島では1932(昭和7)年に早くも防空演習が実施されていますが、本格的に取り組まれたのは1937(昭和12)年以降のことです。
防空組織として警防団が設けられ、市民は避難訓練やバケツリレーなどの消火訓練にかり出されました。