広島に落とされた原爆
   


場所も人も医薬品も不足していた。

原爆(げんばく)はいっしゅんにして広島の中心部を破壊(はかい)しました。県庁(けんちょう)や市役所、警察(けいさつ)などの公共施設(こうきょうしせつ)もかいめつ状態で、まちは大混乱(だいこんらん)になりました。
しかし、被爆(ひばく)直後から被害(ひがい)の少なかった陸軍の部隊を中心に、被害(ひがい)にあった人たちのための救援(きゅうえん)救護(きゅうご)活動(かつどう)がはじめられました。
焼けなかった病院や学校は仮設(かせつ)救護(きゅうご)所となり、被爆(ひばく)した多くの市民たちが治療(ちりょう)(おとず)れました。こうした活動は戦争が終わった後もつづきましたが、もともと不足していた医薬品はどんどん少なくなり、十分な治療(ちりょう)ができない状態(じょうたい)になってしまいました。
こうした中、赤十字国際(こくさい)委員会の日本での主席代表としてやってきたマルセル・ジュノー博士のおかげで、大量 の医薬品が届けられ、治療(ちりょう)をつづけることができました。

●マルセル・ジュノー博士のおかげで提供(ていきょう)された医薬品の一部

救護(きゅうご)所のようす

絵:高原良雄