復興する町

爆心(ばくしん)地近くに平和記念公園ができた。

復興(ふっこう)計画により、原爆(げんばく)ドームと川向こうの中島町一帯を平和を象徴(しょうちょう)する公園にしようと決められ「平和記念公園」がつくられました。1952(昭和27)年8月6日、「原爆死没者慰霊碑(げんばくしぼつしゃいれいひ)」が除幕(じょまく)し、1955(昭和30)年8月には「広島平和記念資料館(しりょうかん)」がオープン。原爆(げんばく)ドーム、原爆死没者慰霊碑(げんばくしぼつしゃいれいひ)、広島平和記念資料館(しりょうかん)が南北一直線にならぶ公園の姿(すがた)が整ってきました。
また、平和記念資料館(しりょうかん)の南側には、(はば)が100メートルもある広い道路がつくられ、市民から名前を募集(ぼしゅう)して「平和大通 り」と名づけられました。
●広島復興大博覧会(ふっこうだいはくらんかい)
1958(昭和33)年、原爆(げんばく)から立ち直った広島を見てもらおうと、「広島復興大博覧会(ふっこうだいはくらんかい)」が開かれ、広島平和記念資料館(しりょうかん)も会場になりました。
撮影(さつえい):大前静治 提供:広島市公文書館