平和記念公園になる前はどんなだったの?

平和記念公園のところは以前どんな町だったのですか?
平和記念公園の名前はどうしてついたの?

 

 
 平和公園は正式には平和記念公園といいます。平和記念公園とその周辺、中島地区は江戸時代末期から明治・大正時代にかけて、広島市内きってのにぎわいを見せた場所でした。今は公園になっていますが、原爆が落とされる前は、長い歴史があり、多くの人が住んでいた町だったのです。

大正末期の中島地区 川にかこまれ、通りに面してびっしりと建ちならぶ家が見えます。(1920年代前半に撮影)
平和記念公園の名前の由来ですが、被爆直後から、原子爆弾によって最も被害の大きかった爆心地近くを記念区域として残そうという考えがありました。始めこれは中島公園と呼ばれていましたが、「広島平和都市記念建設法」が定められる前後から、平和都市を作ろう、という考え方が強まるにつれ、平和記念公園と呼ばれるようになりました。

 被爆後の中島地区(1945年8月)

 現在の中島地区(1997年9月)

 平和記念公園がだんだんとできてゆく様子については、「サダコと原爆」の「復興するまち」のところでも説明していますので、みてくださいね。
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