原爆が投下されたとき、広島の街を走っていた路面電車(ろめんでんじゃ)に乗っていた人はどうなったのですか?
 
被爆時(ひばくじ)に広島の街を走っていた路面電車の車両は、70両です。この路面電車を運行(うんこう)していた広島電鉄株式会社では、仕事についていた職員211人が死亡し、289人が負傷(ふしょう)しました。この中には、働きながら電車の運行を(にな)っていた広電家政学校の女生徒30人も(ふく)まれていました。(このことについては「ヒロシマに一番電車が走った」というアニメがあります。ご(らん)になりたければ資料貸出を行っていますので、お電話にて082-541-5544までお問いあわせください。)


電車の中の様子は被爆当時その電車の走っていた場所によって様々(さまざま)かと思われますが、中心部を走っていた車両については、車両自体も車両の中の人々も大きな被害を受け、電車の中でも多くの人が亡くなりました。爆心地近くを走っていた電車の中の様子については、電車の中で被爆され、奇跡的に生き残られた石田明さんの以下の手記に(くわ)しくのっているので、見てくださいね。

「ヒロシマの母の遺産(いさん)」 労働教育センター  石田明 1981
「ヒロシマを生きて」  労働教育センター  石田明 1998


現在、広島電鉄株式会社(広電)では京都、大阪、神戸などの市電で使われていた車両が今も現役で使用されており、動く電車の博物館と呼ばれています。その中で1942年に製造された650形の被爆電車(ひばくでんしゃ)4両も健在(けんざい)で運行を続けています。


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