戦時中、何を食べていたのですか?

第二次世界大戦の終わりごろや敗戦直後のころ、人々は、
何を食べていたのですか?

 みなさんが学習したように、戦争が長引き、人々の生活はだんだん苦しくなっていきました。食料や衣服、燃料など生活に欠かせない物も自由に手に入れることができなくなり、人々は政府から配られるキップを持って、きめられた時間に配給を受けるようになりました。配給とは、ひとりひとりに物の量がわりあてられ、その範囲でお金を払って手にいれるというものです。(なお、第二次世界大戦中と敗戦直後は、生きるために必要なものを、十分に入手できない時代でした。人々は配給をおぎなうために、いなかに買い出しにでかけ、お金のほかに着物などと交換して、食べるものを手に入れました。)


  配給・切符制になったものと時期 

 食糧不足(しょくりょうぶそく)深刻(しんこく)となる1943(昭和18)年ごろから庭の一部を利用して野菜やイモを栽培(さいばい) する家庭菜園作りが盛んになりました。学校の校庭でも、イモやカボチャを栽培しました。くわしいことは、「キッズ平和ステーション」の「サダコと原爆」の「戦争中の人々のくらし」のところをよんでくださいね。

   また、代用食といって、白米やパンなどの主食にかわる食事が、政府によって奨励(しょうれい)されました。まず、米・麦に代わり殿粉(でんぷん) ・トウモロコシ・コウリャンが代用食として配給されました。さらに食糧事情が悪化すると、イモのつるや葉・カボチャの種まで代用食として食べられました。主なものには、「おから饅頭(まんじゅう)」「どんぐりパン」、稲藁(いなわら)を粉末にしてこれに小麦粉や海藻(かいそう)などを混ぜてつくる「パン」、食べられる野草をまぜた「草だんご」などがありました。これら代用食でさえ人々はおなかいっぱいに食べることができなかったのです。

   くわしいことは、次の本などを読んで調べてみましょう。
  「学習漫画 日本の歴史 18 アジア太平洋戦争」 集英社発行 1998年
  「21世紀こども百科 歴史館」 小学館発行 1999年


  みなさんのおじいさんやおばあさんに、戦時中の食事のことを聞いてみましょう。


質問リストにもどる