原爆(げんばく)投下直後の人々は、どんなものを食べていて、どのように生活していたのか。

原爆(げんばく)によって大きな被害(ひがい)を受けた人々には、広島市のまわりの町や村からの炊たき出だしによるおにぎりが(とど)けられました。

現在(げんざい)の広島平和記念資料館(しりょうかん)本館にある救援(きゅうえん)救護(きゅうご)活動のコーナーには、佐伯(さえき)郡宮内村からおにぎりを150()入れて広島市へ運んだ木箱が展示(てんじ)されています。平和記念資料館(しりょうかん)にきて、ぜひ見てください。

また、市内のいろいろな場所におかれた救護(きゅうご)所には、ケガをした人が大勢(おおぜい)つめかけましたが、医薬品はすぐになくなってしまいました。救護(きゅうご)にあたった人々の必死の看護(かんご)にもかかわらず、多くの負傷者(ふしょうしゃ)()くなっていきました。

家族や友だちをさがして救護(きゅうご)所を歩き回った人も多くありました。(直接(ちょくせつ)被爆(ひばく)しなかったのに、被爆(ひばく)直後に広島市中心部に入ったため放射線(ほうしゃせん)による影響(えいきょう)を受けてしまった人もたくさんいます。)

そして、人々は焼けてしまった家のあった場所に焼け残りの木や板や(ぬの)などを集めて(つく)った小屋(バラック)や、外側だけが焼け残ったビル、こわれた防空壕(ぼうくうごう)などに住んで生活をしました。

(くわ)しいことは、次の本をご(らん)ください。
被爆(ひばく)直後の人々の生活を知るための資料(しりょう)

被爆(ひばく)50周年図説戦後広島市史 街と暮らしの50年」
広島市発行(はっこう) 1996年
「図録広島平和記念資料(しりょう)館ヒロシマを世界に」
広島平和記念資料(しりょう)発行(はっこう) 1999年

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