1914(大正3)年
建築(けんちく)中の広島県物産(ぶっさん)陳列館(ちんれつかん)
設計者(せっけいしゃ)のヤン・レツルは現在(げんざい)のチェコ(当時はオーストリア=ハンガリー二重(にじゅう)帝国(ていこく)(ふく)まれた)の建築家(けんちくか)。曲線のレンガ(へき)銅板(どうばん)楕円形(だえんけい)ドームなどを取り入れた大胆(だいたん)なデザインは竣工(しゅんこう)当初から大変な話題となりました。しかし、高度な技術(ぎじゅつ)を必要とする洋風(ようふう)建築(けんちく)にもかかわらず、大部分の工事は広島の職人(しょくにん)たちの手で行われました。
提供:広島市公文書館
1915(大正4)年4月
広島県物産(ぶっさん)共進会(きょうしんかい)
開館に先立って、広島県物産(ぶっさん)共進会(きょうしんかい)開催(かいさい)され、第一会場となった物産(ぶっさん)陳列館(ちんれつかん)は多くの人でにぎわいました。
提供:広島市公文書館
ライトアップされる物産(ぶっさん)陳列館(ちんれつかん)
共進会では夜間、建物がライトアップされ、大変な人気を()びました。
提供:広島市公文書館

中には曲線の(かべ)を持つ部屋が(なら)んでいました。この(うら)展示室(てんじしつ)の一部は2〜3階が()()けになっていました。
提供:広島市公文書館

南側につくられた洋式庭園。噴水(ふんすい)もヤン・レツルの設計(せっけい)になるもので、不思議な雰囲気(ふんいき)(ただよ)わせています。
提供:広島市公文書館
広島県立(けんりつ)商品(しょうひん)陳列所(ちんれつしょ)
1930(昭和5)年(ごろ)は、「広島県立(けんりつ)商品(しょうひん)陳列所(ちんれつしょ)」と()ばれていました。正面には川から建設(けんせつ)資材(しざい)搬入(はんにゅう)するための雁木(がんぎ)(もう)けられています。
提供:個人蔵
1945年8月6日、8時15分、建物のほぼ真上で原子(げんし)爆弾(ばくだん)がさく(れつ)しました。
建物は一瞬(いっしゅん)大破(たいは)し、天井(てんじょう)から火を()いて全焼。中にいた人は全員即死(そくし)しました。
しかし、建物の一部は(たお)れずに残りました。

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