大手町の自宅で被爆した山下博子さん(旧姓吉田、当時18歳)は、こわれた家の下敷きになりました。弟の祐策さん(当時6歳)とともに瓦礫の下からはいだし、はだしのまま火の手の上がる街から郊外へと逃げました。
博子さんは、両手、両肩、両足にひどいけがを負っていました。一見元気だった祐策さんも、21日に倒れ、髪の毛が抜け落ち、高熱が出た後、鼻から大量に出血して24日に死亡しました。
博子さんの髪の毛も、祐策さんと同じ21日に、一気に抜け落ち、病状が悪化しましたが、なんとか命はとりとめました。これは、懸命に看病していた母親の恭さん(当時46歳)が、万が一を思って、娘の形見のつもりにと大事にとっておいたものです。
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