ご注意ください。
滋くんの弁当箱の中身をみる
 資料館に展示(てんじ)されている(しげる)くんの弁当箱。中身は炭化して真っ黒になっていますが、母親のシゲコさんによれば、8月6日の弁当は次のような内容でした。

●米、麦、大豆をまぜて()いた混ぜごはん
●ジャガイモと千切りダイコンの油いため

べんとうばこの中身アップ

戦争が長引き、人々の生活が苦しくなり、特に食糧不足が深刻になっていくなかで、1943(昭和18)年ごろから庭などを利用して野菜や芋を栽培する家庭菜園作りが盛んになりました。滋くんのお弁当に入っている大豆も家庭菜園で収穫されたものです。

戦中の生活について、食の側面から理解を深めていただくため、お弁当のレシピを掲載しています。

しげるくんのおべんとうをつくってみよう
<作り方>
■混ぜごはん(6人分)
【材料】
米・・・ 2合
押麦・・ 1/2合(米の1/4の量)
大豆・・ 水煮(みずに)にして170g(250cc)(米の7/10の量)
(しお)・・・ 現在の混ぜごはん(豆ご飯など)の塩加減見当(しおかげんけんとう)より(うす)



【作り方】
1. 大豆を一晩(ひとばん)水につけ、圧力鍋(あつりょくなべ)水煮(みずに)をつくり、余分な皮は(のぞ)く。
2. ()いた大豆、米、麦に(しお)を加え、いっしょに()く。水加減は米と麦を合わせた量 。(この場合は2.5合)
ひとこと
(しげる)くんは農村部(現在は五日市町)に住んでいたので、食べるものには(めぐ)まれていましたが、そのころの日本の都市部では、ダイコン、ジャガイモをご飯に入れ、白米がわりにしていました。(しげる)くんの家でも、大豆ごはんはめったにありませんでしたが、この日は、お母さんと(しげる)くんが中心になって、竹やぶを開こんした畑からはじめて大豆が収穫(しゅうかく)できたので、それをごはんに混ぜたのです。お米の多いところをお弁当につめてもらい、(しげる)くんは昼食を楽しみに出かけていきました。
当時、米は精米していなかったので、自宅(じたく)で一(しょう)(びん)に入れ、(ぼう)でついて精米していました。(しげる)くんの弁当を作るときは、7分づきの米を使うといいでしょう。(一番安い米を選んでください)
大豆は1日かけてゆっくり()て、やわらかくして使います。当時は大豆の質が悪く、燃料もなかったので、大豆を固いまま()きこんでおなかをこわすことも多くありました。
大豆は水を()わないので、混ぜごはんの水加減は米と麦を合わせた量 でちょうどいいでしょう。
当時は塩味(しおあじ)はついていなかったので、塩加減(しおかげん)薄目(うすめ)にします。


■ジャガイモと千切りダイコンの油いため(3人分)
【材料】
千切りダイコン・・ 約30g
ジャガイモ・・・・ 中3個(1個120g程度のものを使用)
イリコだし・・・・
(ジャガイモ用)
約70cc
ダイコンのもどし(しる)
(ダイコン用)
約100cc
(しお)、しょう油  
【作り方】
1. 千切りダイコンを(あら)い、水でもどす。
(何度も水を()えると風味がなくなるので、1回程度(あら)い、2回目につけたもどし(しる)はあとで()るときに使う)
2. ダイコンを油炒(あぶらいた)めして、もどし(しる)()て、(しお)、しょう油で味つけする。
3. はらわたと頭を取ったイリコを入れ、だしをつくる。
4. ジャガイモを千切りして、イリコをいれたままのだし(じる)()る。
ひとこと
当時、砂糖(さとう)はなかったので使いません。(あま)みがほしい場合は人工甘味料(じんこうかんみりょう)で味つけします。
おかずは()いめの味つけでした。
大豆は1日かけてゆっくり()て、やわらかくして使います。当時は大豆の質が悪く、燃料もなかったので、大豆を固いまま()きこんでおなかをこわすことも多くありました。

再現したお弁当の例