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2018年 法政大学入学式 来賓祝辞
(2018年4月3日)
法政大学に入学される皆さん、ご家族及び関係者の皆様、総長、教職員の皆様大変おめでとうございます。

 何事にも基本、原点が大事です。 只今、田中総長が、法政大学の淵源である東京法学社を大きな志をもって立ち上げた20代の青年法律家たちの話をされました。 また、「自由と進取の気象」を特徴とする法政大学の学問的基礎の形成に貢献したボアソナード博士にも言及されました。 人間は、ともすれば、お世話になった人々の恩義を忘れがちです。 法政大学は、そうではなく、草創期の人々の恩義を、原点を大事にしています。 このことを誇らしく思います。 そして現在、法政大学・生え抜きの田中優子総長の下、「自由を生き抜く実践知」を掲げた「法政大学憲章」を制定し、グローバルな視野で新たな挑戦に取り組んでいます。
 私がおめでとうと申し上げたのは、このような素晴らしい挑戦の舞台にようこそという趣旨です。
 現在は大きな変化の時代です。 古い制度が行き詰まり、新たな難問が次々に出てきます。
 このような時代に「自由を生き抜く実践知」を掲げる法政大学がどのような存在となっていくのか、最大の焦点は学生の皆さん自身の志と行動にかかっています。 そして高等教育は、もちろん皆さん自身の人生を自分らしく最大限に生きるための確かな基盤を作るためですが、社会の側からは、皆さんが勝ち得た能力・見識を社会のため、人々のために役立ててほしいという大きな期待があることも忘れるべきではないと思います。

 きょう、私は、卒業生の一人として、皆さんに三つの角度から、お話をしたいと思います。 最初の二つは、世界平和に関するもので、まず、広島・長崎の被爆者の訴えについて。 次に「多様性を尊び共通点を探る」という話です。 法政の「ダイバーシティ宣言」にも関連します。 そして最後に、「変化の時代の専門性」について私が感ずるところをお話しします。

 最初に、広島・長崎の被爆者の方々のメッセージのかけがえのない価値についてです。 「なぜ70年以上も前の残酷な悲劇をいつまでも話す必要があるのか?」と問う人があるかもしれません。 それは、国と国との争いの中で、想像を絶する残酷なことが実際に起こったからです。 過去を忘れる時、過ちは繰り返される恐れがあるからです。 そして、今も15000近くの核兵器が存在し、事故や誤算で使われる危険があるからです。
 原爆は一般市民が生活する都市のど真ん中に落とされました。 被害者の多くは非戦闘員の女性、子供、老人です。 町は一瞬にして廃墟と化し、むごい苦しみの中で、1945年末までに広島で約14万人、長崎で約7万人が尊い命を失いました。 生きのびた被爆者も、人生は激変し、放射線障害や社会的差別に苦しみながら、数え切れない涙を流してきたのです。 苦しみぬいたからこそ、被爆者の方々は、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」との深い心で、世界中の人に、そして未来世代の人々のために、思い出すのもつらい被爆体験を語りつづけ、警鐘を鳴らしてくださっているのです。 復讐の言葉ではなく、誰もが、ひとりのこらず、よい人生を生きる権利があるはずだとの思いに満ちた尊い訴えです。 私は仰ぎ見るような思いで胸に焼き付けています。 次代を築くリーダーである若い皆さんが、被爆者の平和への思いを心に刻んでくれたら、本当にうれしい。 苦しみ抜いた人の心、その苦しみの中から紡ぎだされた痛切な平和への思いを受け止めることのできる心を持った人は信用できます。 このような広い心と勇気・知性を兼ね備えた若い人々が築く未来は素晴らしいものになるに違いありません。

 次に、二番目のテーマについて。 今年の1月25日、アメリカの科学誌が、世界終末時計が真夜中まで2分前となったと発表しました。 これは1953年アメリカとソ連がともに水爆実験に成功して以来最も世界が破滅に近づいているという趣旨です。 この背景には、核兵器使用の危機と気候変動対策について世界の指導者が有効な対策をとっていないとの判断があります。 どちらの問題の解決にも違いを乗り越えた世界的な協力が不可欠です。 テロや難民の根本的な解決にも相互不信を相互理解・相互協力に替える努力が必要です。

 現在の国際社会を眺めると、冷戦後四半世紀を超えた今も、紛争の種は尽きません。 グローバリゼーションが進む一方、人類の同朋意識は未発達で、経済社会格差も拡大しています。 このため、相互不信、分断化、対立が目立つのが不幸な現実です。 近年、排他的な傾向も強まり、争いが武力衝突に至る危険も増しています。 こうした不安定な世界にいまだ15,000近くの核兵器が存在します。これを核抑止という考えが正当化しています。

 相互不信を脅しでしのごうとする「核抑止」という考え方を乗り越えるためには、相互不信を相互理解に変える努力が必要です。 ウクライナや北朝鮮の問題も関係国の努力次第で、「対決的安全保障」を「協調的安全保障」へと転換する具体例となりえます。 相手の立場を理解し、多様性を尊びつつも、違う者同士が、真剣に対話を重ね、共通点を探り、共通価値、共通目標を一緒に創り出していくとき、はじめて、そこに、違いを超えた、はるかに大きな同じ人間家族としての共通点に目覚めることができます。 人類の同朋意識といっても、出発点は、あくまでも謙虚に相手を知る努力です。 私たちは皆違うからです。 個性、文化、歴史、宗教が違います。 それぞれ独自だからこそ、かけがえのない存在です。 ここに学問・教育の必要もあります。 私が申し上げているのは観念論ではありません。 史実に学び、また、私自身の外交経験を通して実践し、学んできた、実際に機能する実践論です。 簡単ではありません。 大変だからこそ、今から始める必要があります。

 この関連で、法政大学の国際法ゼミでご指導いただいた恩師の安井郁先生が重要な役割を果たした、 1954年アメリカの水爆実験で被ばくした第五福竜丸事件の際の市民運動のエピソードを紹介します。 当時杉並区の公民館長だった安井先生は、杉並図書館の読書会の主婦の方々とともに原水爆実験反対の署名運動を起こしました。 子供や孫の将来を守るとの母親の強い願いが、立場の違いを超えて、全国的な運動に発展し、わずか1年半ほどの間に、3200万もの署名を集めています。 これに呼応して全世界で6億もの署名が集まったといわれます。 この署名運動が契機となって、米ソが核実験を一時停止し、さらに1962年のキューバ危機を経て、東西冷戦の最中、体制の違いを超えるケネディの政治的イニシアティブにソ連のフルシチョフも応じて、1963年に部分的核実験禁止条約が成立しました。 この一連の出来事は、違いを超えた幅広い市民社会の運動が国家の専権事項ともいうべき安全保障の分野にさえも影響力を及ぼしうるとの重要な先例であり、また、国際緊張の極まる中でも、為政者の立場を超えたイニシアティブにより核軍縮が実現した実例です。

 最後に、変化の時代の専門性について、私の感ずるところをお話しします。 あくまで私の意見ですが、何らかの参考にしていただければ幸いです。 何を専門分野とするかは、各人各様です。 その人の好み、特性や時代の要請にも関係するでしょう。 私は、専門家としてそれなりに社会に貢献しうる存在になるために、次の三つのようなことがあるかなと思っています。
 第一に、人の受け売りではない、自分自身の問題意識、初心と言い換えてもいいかもしれません。(「初心忘るべからず」の初心です。) これを辛抱強く追求していく、そのための研鑽を怠らないこと。 何になりたいということ以上に、自分としてどのような人生を生きたいのかという確実な幹を持ち育てることです。 長い目で見ると、この生き方が、ちょうど磁石のような働きをして、様々な経験を統合していきます。
 第二に、社会に出て、いつも自分のやりたい仕事ばかり出来ることはむしろ稀です。 何であれ、目前の課題に全力を尽くすことが大事だと思います。
 第三に、現代は、世界的な大変化が起こりつつある時代ですので、あまり、専門分野について固定的に窮屈に考えない方がいいと思います。
 以上三点を踏まえて、懸命に努力する中で、自ずと落ち着くところに落ち着くのではないかと感じています。 私自身、70歳の現在でも、独特の専門性をもつ人間として、核兵器の廃絶を目指してやりがいのある仕事をさせていただいていますが、開発協力、文化交流、条約、国際機関、人事、二国間関係の処理、さらには、IAEA事務局長の補佐官の仕事など、様々な仕事をしてきました。 便利屋として何の専門性も無く、職業人生をおえてしまうことになるのかと淋しく感じたこともありました。 しかし、力はないまでも、それぞれの分野で誠心誠意研鑽し、工夫し、少しでもいい仕事をしようと何十年も努力してきたことの全てが、現在の仕事に生かされていると感じています。 いつの間にか、現在の社会の需要にかみ合った、希少価値のある独特な専門性を持った存在になっているわけです。

 私のお話が少しでも皆さんの参考になれば幸せです。
 お体を大切に、また、友情を大切に、自分らしく、思う存分、学び、多くのことに挑戦してください。 皆様のご健闘を心からお祈りします。
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