和文機関紙「平和文化」No.176, 平成22年10月号
平和記念資料館・広島原爆死没者追悼平和祈念館 共同企画展

国民義勇隊
―原爆被害を大きくした広島市の建物疎開―

■ 期間: 12月15日(水)まで
■ 会場: 平和記念資料館地下1階 展示室(5)
淨行寺(広島市安佐南区川内)で祈る女性たち(平成22年5月6日)

淨行寺(じょうぎょうじ)(広島市安佐南(あさみなみ)区川内(かわうち))で祈る女性たち
(平成22年5月6日)

 65年間休むことなく、毎月6日に祈る女性たちがいます。 広島から遠く離れた町や村で、原爆に家族を奪われた人たちが多くいたことを知っていますか。
 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、日本のほとんどの都市が米軍による空襲(くうしゅう)を受けていました。 政府は、連合国が上陸して日本本土で戦闘が行われることを想定し、これに備えて国民を動員するための組織「国民義勇隊(ぎゆうたい)」を編成しました。 広島においても、地域や職域ごとに国民義勇隊が編成され、その多くは、爆撃による火災が燃え広がるのを防ぐために防火帯を作る「建物疎開(たてものそかい)作業」に動員されていました。
淨行寺(広島市安佐南区川内)で祈る女性たち(平成22年5月6日)

建物疎開作業に向かう草津南町(くさつみなみまち)国民義勇隊(作者 木村秀男(きむら ひでお)さん)

 原爆が投下された8月6日も、広島市の中心部で建物疎開作業が行われており、市内のみならず、周辺町村からも動員された大勢の人たちがいちどきに被爆しました。 爆撃による被害拡大を防ぐための建物疎開作業への動員により、原爆被害が大きくなってしまったのです。
 国民義勇隊の被爆に関する企画展の開催に当たり、関係資料の発掘に努めましたが、残された記録が少ないため、編成の過程や、被爆当日の動員や被害の全容をたどることは非常に困難でした。 わずかに残されたかつての町や村の役場や企業の記録、遺族の手記などを通じて、国民義勇隊の被害の状況、残された人たちの悲しみとその後の苦難の歩みの一端を紹介します。
【展示構成】
  • あなたの街にも
     広島市内や近郊にある国民義勇隊の慰霊碑などを写真で紹介しています。
  • はじめに
     国民義勇隊の編成や建物疎開作業への動員状況を役場文書や当時の新聞などにより解説しています。
  • 地域国民義勇隊
     広島市国民義勇隊草津大隊(くさつだいたい)、市外の川内村(かわうちむら)国民義勇隊と大竹(おおたけ)地区国民義勇隊の被害を中心に紹介。木村秀男(きむら ひでお)さん作の紙芝居も展示しています。
  • 職域国民義勇隊
     油谷重工(ゆたにじゅうこう)と藤川製鋼所(ふじかわせいこうじょ)の職域国民義勇隊の被害を中心に紹介しています。
  • 国民義勇隊の被害の全容
     戦傷病者戦没者遺族等援護法による援護の対象者を特定するために作成された国民義勇隊死没者名簿により、国民義勇隊ごとの動員数と死亡者数を紹介しています。
義勇隊の碑(広島市中区中島町)

義勇隊の碑
(広島市中区中島町(なかじまちょう)

(平和記念資料館 学芸担当)

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