国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、被爆の実相を伝えるため、毎年テーマを定めて企画展を開催し、被爆体験記を紹介しています。
本年は、「流燈
(りゅうとう)―広島市女
(いちじょ)原爆追憶の記」に収録された追悼記を中心に、企画展を組み立てました。
戦局の悪化に伴い、1945年(昭和20年)4月から、現在の中学生以上の生徒は授業が中止され、食糧生産や軍需工場に動員されていました。
広島原爆では約7,200人の生徒たちが犠牲となりました。
中でも、爆心地に近い屋外で建物疎開作業をしていた生徒の被害は甚大で、1、2年生のほとんどが動員された広島市立第一高等女学校(通称市女、現在の市立舟入
(ふないり)高等学校)は666人の生徒が亡くなり、最も多い犠牲者数となりました。
13回忌を迎えた1957年(昭和32年)8月、遺族が追悼集「流燈」を刊行しました。
追悼集には、学徒動員から終戦までの経過が克明に記録され、遺族による追憶の記とともに生徒らの遺稿も掲載されています。
右下が1957年(昭和32年)に刊行された「流燈」。これまで続編や再製作版が刊行され、貴重な記録として読み継がれている。
追悼平和祈念館の3面シアターでは、被爆死した4人の女学生について父母らがつづった追悼記を中心に、分かりやすく映像化しています。
当時の宮川造六
(みやがわ ぞうろく)校長の言葉や、水槽に逃げ込んだ生徒をかばうように覆いかぶさったまま亡くなった森政夫
(もり まさお)先生の逸話も紹介しています。
市女の生徒だった娘の被爆死について広島を訪れる修学旅行生に語り続けた、故坂本文子
(さかもと ふみこ)さんと、市女の2年生に在籍し、8月6日は体調不良のため難を逃れた矢野美耶子
(やの みやこ)さんの貴重な証言動画も挿入し、体験者の言葉を通して、切実に平和への思いを伝える展示となっています。
会場では、28編の手記とともに、「流燈」の初版本、形見となった市女のセーラー服などを展示しています。
企画展の映像は、過去に制作したものも含め、体験記閲覧室や当館のホームページで視聴できます。
映像は平和学習資料として、DVDでの貸出しも行う予定です。
ご希望の方は当館までお問い合わせください。