ネバダ、ホノルル、ロスアラモス、オークリッジ、ハンフォード。
これは第二次世界大戦や核兵器開発と深い関わりのある米国の州や町の名前です。
そして、それぞれの地にはまた、そこで起こった出来事を後世に伝えるミュージアムや記念館があります。
広島平和記念資料館では平成22年(2010年)から海外の聴講者を対象としたオンラインによる被爆体験証言事業を実施していますが、コロナ禍に見舞われた今年、原爆が投下されてから75回目の夏から秋にかけて、そうしたミュージアムや記念館のスタッフから被爆者の話を聴きたいという声が届きました。
また、共同で現地の市民に講話を行う機会にも恵まれました。
現在も稼働中のネバダ核実験場の歴史を伝える核実験博物館(ネバダ州ラスベガス)、第二次世界大戦末期、日本の降伏文書調印式が行われた会場が残る戦艦ミズーリ記念館(ハワイ州ホノルル)、「マンハッタン計画」(米国において大戦時に極秘で進められた原爆開発計画)の関連施設を保存し、その歴史を学ぶ場を提供するマンハッタン計画国立歴史公園(ロスアラモス、オークリッジ、ハンフォード)。
ヒロシマとは相容れないようにも思われる、こうした米国の戦争・軍事に関わる諸団体が、被爆者の話を聴きたい、あるいは地元の市民に聴いてほしい、と思うのはなぜなのでしょうか。
新型コロナウイルス感染拡大によって日常生活へ甚大な影響が出ているにもかかわらず、なぜ今被爆地広島に目を向けるのでしょうか。
ミズーリ州セントルイスにある軍人記念碑・軍事博物館が作成したオンライン講話の案内イメージ
当日は約70人の米国市民が、河野さん(写真右)の話に耳を傾けた。(英語通訳:佐藤仁美(さとう ひとみ)さん)
ラスベガスにある核実験博物館の外観
現地時間8月6日に合わせ、小倉桂子さんが講話を行った。令和元年11月、滝川(たきがわ)平和記念資料館長が同館を訪問したことが契機となり今回の実施に至った。
聴講者に尋ねてみると、「私たちは歴史としてのヒロシマは知っていても、実際にキノコ雲の下で起こったことは知らないんだ」という答えが返ってきます。
世界中で国境を越えた移動が制限される今だからこそ、オンラインを活用し、自分たちの施設が語らない視点を学びたいのだと。
コロラド州の自宅で小倉桂子
(おぐら けいこ)さんの講話を聴いた女性は、「今夜のことはいつまでも私の中に残り続けるに違いありません。小倉さんがご自身の体験から話してくれたことを胸に、自分の持ち場に帰って今後のプロジェクトを発展させていきたいと思います」とのメッセージを寄せてくれました。
被爆者の高齢化が進み、自身の体験を話すことができる人が少なくなってきていますが、証言に込められた核兵器廃絶への思いには、核兵器をめぐる立場や国籍の違いを越えて、聴く者に強く訴える力があります。
「核兵器廃絶へ向けてのバトンを、学生の皆さんに手渡したい。」10月下旬、パソコンのモニター越しに映る中央ミシガン大学(ミシガン州マウント・プレザント)の学生約40人に向けて、河野キヨ美
(こうの きよみ)さんはこのように講話を締めくくりました。
新型コロナウイルス感染拡大を受け大学封鎖が続く中、それぞれの自宅から聴講してくれた学生たちの真剣なまなざしからは、河野さんの思いがその一人ひとりへ確かに届いていることを実感せずにはいられませんでした。
ミズーリ州セントルイスにある軍人記念碑・軍事博物館が作成したオンライン講話の案内イメージ
当日は約70人の米国市民が、河野さん(写真右)の話に耳を傾けた。
(英語通訳:佐藤仁美(さとう ひとみ)さん)
8月から10月の間、米国の他にオーストラリア、コスタリカ、タイといった世界の様々な地域の学校や市民団体と広島平和記念資料館が共同で講話を実施した中で、米国との実施数は突出しています。
その数は、本事業において今年度実施した全18回のうち(10月末現在)、13回にのぼります。
当館のホームページを見た方、あるいは過去に当館を訪れた方からの依頼だけでなく、当館による海外での原爆展の開催やそれに伴う現地での被爆体験証言講話の実施、現地ミュージアム訪問などを通して、長年築き上げてきた海外ネットワーク経由で開催に至ったケースが多いのが今年度の特徴です。
ラスベガスにある核実験博物館の外観
現地時間8月6日に合わせ、小倉桂子さんが講話を行った。令和元年11月、滝川(たきがわ)平和記念資料館長が同館を訪問したことが契機となり今回の実施に至った。
昨年度までに約90回を実施してきたオンラインによる被爆体験証言事業は、証言者からの惜しみない協力をはじめ、一般社団法人ひろしま通訳・ガイド協会所属の通訳者によるサポート、内部における職員間の技術面の蓄積、ウェブ会議システムの環境整備といった様々な努力が結実したものです。
被爆75年という節目の年に、新しい生活様式に対応しながら世界に向けて広く被爆の実相を伝えることが出来ていることを、この場を借りてすべての関係者に感謝いたします。
(平和記念資料館 啓発課)