被爆75年の2020年8月13日から、日米開戦80年の2021年2月27日まで、日米開戦の舞台となったハワイ・真珠湾
(しんじゅわん)に係留されている戦艦ミズーリ記念館において、「ヒロシマ・ナガサキ原爆・平和展」を開催し、被爆した実物資料等20点、広島・長崎の被爆の実相を説明したパネル30点を展示して被爆の実相を発信しました。
戦艦ミズーリ記念館
まず、戦艦ミズーリ記念館を紹介します。
日米開戦からおよそ4年後の1945年9月、戦艦ミズーリにおいて日本の降伏文書調印式が行われました。
ミズーリは退役後、1998年に真珠湾に係留され、翌年から記念館として一般公開されています。
降伏文書調印式会場となったデッキ、16インチの主砲や上級士官の食堂などが艦内の見どころですが、神風特攻機衝突跡(カミカゼデッキ)を見ることもできます。
1945年4月の沖縄海域での戦闘で、
1機の特攻機が右舷艦尾付近に突入し火災が発生。
消火作業後にデッキ上で発見されたのは、特攻隊員の上半身のみの遺体でした。
乗員は遺体を速やかに片付けようとしましたが、ウィリアム・キャラハン艦長は
「亡くなった今はもはや敵ではなく、祖国のために戦った彼の行動は尊敬に値する。水葬を行う。」
と周りを説得し、翌朝、多くの乗員が見守る中、水葬が行われました。
衝突跡は修理せずそのまま残されています。
コロナ禍の中で開催
新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、原爆・平和展は波乱の開催となりました。
まず、当初の予定より約1か月遅れて2020年8月13日からの開催となり、例年ならば現地で行う被爆体験証言も8月21日に広島からオンラインで行いました。
その直後から再び現地で感染が拡大し、8月27日に戦艦ミズーリ記念館は閉館となりました。
この先いったいどうなるのだろうと途方に暮れる日々が続きました。
出勤すれば直ぐにパソコンを開き、現地の新型コロナウイルスの最新情報を確認する毎日でした。
なかなか感染状況は収束せず、再開したのは年の瀬も押し迫った12月16日でした。
週4日間のみの開館となりましたが、当初の11月末までの開催予定を2021年2月27日まで延長し、どん底から這
(は)い上がれた気持ちになりました。
来館者の反響
「Of Silhouettes and Ash(シルエットと灰)」と題した展示会で資料やパネルは展示され、2019年6月に戦艦ミズーリ記念館が遺族から受領した佐々木禎子
(ささき さだこ)さんの折り鶴も併せて展示されました。
来館者は約13,500人で、そのうち半数が20代以下の年齢でした。
来館者の主なアンケート結果は次のとおりで、被爆の実相を十分に発信できたのではないかと思っています。
〇 原爆展の内容はいかがでしたか。
分かりやすい83.8%で、まあまあ分かりやすい13.1%を加えると96.9%でした。
〇 原爆及びその被害に関する理解が深まりましたか。
非常に深まった66%で、ある程度深まった25.8%、少し深まった6.2%を加えると98%でした。
〇 核廃絶への理解が深まりましたか。
非常に深まった58.2%で、ある程度深まった30.8%、少し深まった4.4%を加えると93.4%でした。
原爆やその被害、核兵器への理解が深まった割合が90%を超えました。
〇 意見、感想を聞かせてください。
「被害の状況を知ることは歴史を理解する上で重要だと思います」
「史実を伝えることが大事だと思います。私たちは決して忘れてはいけません」
「もっと展示の数があればよかったです」などの感想が寄せられました。
戦艦ミズーリ記念館からのメッセージ
マイク・カー会長兼最高経営責任者
戦艦ミズーリ記念館は、1945年の広島・長崎への原爆投下により命を落とした方々や最愛の人を亡くした方々に敬意を表し、新しい特別展「シルエットと灰:ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開催しました。
来訪者には、この特別展を通して、日本とアメリカの強いつながりや結びつきを感じていただくことができました。
当館において、壮絶な体験を紹介し、歴史上の重要な時代を記念する展示を開催することができました。
資料を貸してくださった広島平和記念資料館及び広島・長崎両市の協力に感謝しております。
ハイディ・ムーニー/ツアーガイド
戦艦ミズーリ記念館で特別開催されていたヒロシマ・ナガサキ原爆・平和展を目にすることができて、とてもありがたかったです。
私は長年日本に住んでいましたが、広島や長崎まで行ったことはありませんでした。
この展示を通して、私は原爆の多くの側面を目の当たりにしました。
それは、これまで知らなかった事実でした。
核戦争の危険性について啓発するために尽力してくださって、ありがとうございます。
ハワイと結ぶオンラインイベントの開催
戦艦ミズーリ記念館とは「ヒロシマ・ナガサキ原爆・平和展」開催後も連携して戦争体験の継承に取り組んでいくことにし、その一環として、今年7月10日に、同館と共催で「戦争の記憶を伝え、平和の種をまく」をテーマとして、ハワイ在住の2人からお話を伺うオンラインイベントを開催しました。
高知県出身で2005年にハワイへ移住して以降、戦艦ミズーリ記念館のツアーガイドを務めている前田敦
(まえだ あつし)さんからは、戦艦ミズーリに関するお話と、「平和であることを当たり前と思わずに、平和であることは実は非常に恵まれていて大切にしなければならない」という思いを聞きました。
広島市出身の被爆二世で長年にわたり平和活動に取り組んでいる元高校教員のピーターソン・ひろみさんからは、家族の被爆体験、真珠湾でのサダコプロジェクトなど、平和の実現に向けて行動できる人材の育成と、「私たち一人一人が平和を考え、行動する人になりましょう。みんなが少し動けば、社会も少し変わります」という思いを聞きました。
同イベントの参加者は267人で、「現地で暮らし、活動されている方の生の声を聞くことができ、本当に貴重な機会でした。お二人の素直な言葉が胸に響きました」「海外から見た広島・日本への視点はとても新鮮で、まだまだ課題多しと気づかせていただきました」などの感想が寄せられました。
また、今後も海外原爆展を開催した館の話を聞きたいとの要望も多くみられました。
ハワイでの支援
広島からハワイへ本格的移民が始まったのは1885年、広島市がホノルル市と姉妹都市提携をしたのは1959年、広島とハワイの結びつきは長きにわたります。
今回の原爆・平和展開催に当たり、ホノルル市、ホノルル広島県人会には、ホノルル市民へのPR活動など熱心な支援をいただきました。
当初、ホノルル市庁舎での原爆パネル展や県人会会員による対面での被爆体験証言を実施する予定でしたが、コロナ禍により叶いませんでした。
残念でなりませんが、今年3月に県人会から感染防止のマスクをいただくなど、ハワイと当館との新たな結びつきも生まれました。
世界中を襲っている新型コロナウイルスの影響を真面に受けながらの原爆・平和展の開催でしたが、様々な成果を得ることができたのは、関係者の皆様の熱意と支援のおかげであり、改めて感謝申し上げたいと思います。
(令和3年8月)