和文機関紙「平和文化」No.207, 令和3年9月号

資料展
「紙芝居 はだしのゲン 複製原画展」
「青葉したたる 平和大通りのできるまで」
を開催

 2つの資料展を今年3月31日から9月30日まで、平和記念資料館東館地下1階で開催しました。
「紙芝居 はだしのゲン」表紙 ©中沢啓治氏
「紙芝居 はだしのゲン」表紙 ©中沢啓治氏
 資料展「紙芝居 はだしのゲン 複製原画展」は、作者の中沢啓治(なかざわ けいじ)氏から平成23年(2011年)2月に寄贈された「紙芝居 はだしのゲン」の原画を初めて公開する資料展です。 32点の原画を原寸大で精密に複製しました。 一人で読む漫画とは異なる、大勢の子どもたちが見つめる紙芝居という媒体にあわせて、中沢氏はオールカラーで背景まで丁寧に書き込んでいます。
 来場者からは、「(この紙芝居ならではの表現方法の方が)より一層、ゲンの気持ちが分かり易い」、「カラーなので今どきの子どもに馴染(なじ)みやすい」との感想が寄せられました。
「紙芝居 はだしのゲン」表紙 ©中沢啓治氏
「紙芝居 はだしのゲン」表紙 ©中沢啓治氏
 資料展「青葉したたる 平和大通りのできるまで」は、今年が広島復興都市計画の策定から75年の節目の年にあたることにちなんで、復興のシンボルの一つである平和大通りの形成過程を昭和二・三十年代の写真で振り返る資料展です。
 被爆後の復興計画において、被爆前の建物疎開の跡地に、市の中心部を東西に貫く、緑地を配した街路・平和大通りが建設されました。 展示した写真18点は、明田弘司(あけだ こうし)氏の撮影です。 明田氏は、1952年(昭和27年)春、写真家の名取洋之助(なとり ようのすけ)氏から「広島市は原爆ですべて焼き尽くされた。元に戻るのにこれから何年かかるかわからないが、これを記録しなさい」と教えられ、街の撮影を開始しました。 また、明田氏は広島県美展の審査員等を歴任、地域の写真文化の発展に寄与しました。
 資料展では、明田氏が温かい視線で記録した、「原子砂漠」といわれた焼野原に人力で街路が形成されていく様子を紹介しました。
1956年6月13日 明田弘司氏撮影
広島原子力平和利用博覧会の看板が設置された平和大通りの空き地で遊ぶ子どもたち
(1956年6月13日 明田弘司氏撮影)
(平和記念資料館 学芸課)
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