和文機関紙「平和文化」No.207, 令和3年9月号
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

被爆体験記の執筆をお手伝いします

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、「被爆の記憶を体験記として残したいけれど、文章にまとめることが難しい」といった方などから聞き取りを行い、体験記としてまとめる被爆体験記執筆補助事業を行っています。 完成した体験記は追悼平和祈念館に登録し、館内で公開します。 令和2年度までに160名の方から聞き取りを行いました。
 今年度最初の聞き取りでは、現在追悼平和祈念館で開催している企画展「わが命つきるとも―神父たちのヒロシマと復活への道―」に協力いただいた、カトリック広島司教区の司祭、深堀升治(ふかほり しょうじ)さんからお話を伺いました。 深堀神父は8歳のときに、南観音町(みなみかんおんまち)の自宅から、お使いで近所の人の家に向かう途中で被爆しました。 爆風で飛んできた石がお腹に刺さって亡くなった人がいたことや、母親や弟と避難する道すがら、コールタールのような黒い雨に打たれたこと、やけどした大勢の人の背中にうじがわき、それが黄金のように光って見えたことなど、原爆がもたらした被害や惨状について話されました。
被爆体験を語る深堀升治さん
被爆当時の地図などを見ながらお話しを伺います
 被爆後の暮らしや人生についてもお話を聞きました。 深堀神父は戦後、毎週日曜日にミサに参加するため、徒歩で幟町(のぼりちょう)の教会に通われました。 高校生のとき、長束(ながつか)の修練院で、自分の道を決める「選定の黙想」に参加し、神父になることを決意されました。 修練院の院長だったアルペ神父が「お金持ちではなく、1ペソの寄付をしてくれる貧しい人たちが一番愛を知っている」と話されたことが、特に印象に残っているそうです。
 証言活動については、「自分の役務として、生きている限り続けていく」という深堀神父。 次の世代へ向けては、「平和とは何か。言うだけではなく、自分に何ができるのかを考えてほしい。その積み重ねが平和につながる」と話されました。
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