和文機関紙「平和文化」No.207, 令和3年9月号

被爆体験伝承者から

辻 靖司(つじ せいじ)さん
(平成27年度(2015年度)から活動/被爆体験伝承者、ヒロシマ ピース ボランティア、広島平和記念資料館平和学習講座講師)
 私は、勤務していた会社の地域社会への貢献・ボランティア推進という社風の影響を受け、定年後、当然のように平和記念資料館のピースボランティア活動に関わっていました。 そのことから、広島市の平和・被爆体験継承活動に関心を高く持っていました。 数十人の被爆者の方の被爆体験証言講話を拝聴してきましたが、「被爆の実態」を通じて核廃絶・世界恒久平和を訴える講話は、説得力のある講話です。 しかし、被爆者の高齢化が進み、近い将来に証言講話が拝聴出来なくなる日が来ることから、被爆体験伝承者1期生に応募しました。
 1期の研修生は23名の被爆体験証言者の講話を拝聴することができました。 私は10名の方の証言を受け継ぐべく研修していましたが、研修期間中に2名の方が体調を崩され、8名の方の伝承者となりました。 これだけ多くの証言者のお話を受け継ごうと決意したのは、小学低学年から大人まで幅広い年代の聴講者が良く理解できる伝承講話をするためには、沢山の引き出しが必要だと強く思ったからです。
 私は松島圭次郎(まつしま けいじろう)さん、寺前妙子(てらまえ たえこ)さん、岡田恵美子(おかだ えみこ)さん、寺本貴司(てらもと たかし)さん、兒玉光雄(こだま みつお)さん、中西巖(なかにし いわお)さん、細川浩史(ほそかわ こうじ)さん、北川建次(きたがわ けんじ)さんの被爆体験を伝承していますが、そのうち4名の方との悲しい別れがありました。
 故松島圭次郎さんは被爆時16歳。 爆心地から2km離れた学校で授業中に被爆しました。 自分より大けがを負った友人を赤十字病院へ連れて行き、猛火の広島市中を御幸橋(みゆきばし)、皆実町(みなみまち)、段原(だんばら)を経由して脱出。 海田市(かいたいち)駅まで歩いて逃げました。 戦時中のご家族の状況についても話を伺い、戦争は大人から子供までみんなを不幸にすることが良く理解出来ました。
 故岡田恵美子さんは被爆時8歳。 国民学校3年生の時、爆心地から東へ2.8kmの尾長町(おながちょう)の自宅の庭で、二人の弟さんと一緒にB29爆撃機に手を振っていた時に被爆しました。 岡田さんはピース ボランティア1期生でもありました。 自ら千羽鶴を折り、国内外への献納を通じて平和・被爆体験継承に取り組まれた姿勢は、私たちの模範とするところです。 また、「オバマ大統領に広島に来てもらって、被爆の実態を見ていただくよう、要請の手紙を書く」といった具体的な活動の提案もされ、強い感銘を受けました。 私もオバマ大統領へ手紙を書きました。
 故寺本貴司さんは被爆時10歳。 国民学校5年生の時、学童集団疎開先から病気のため帰っていた広瀬北町(ひろせきたまち)の自宅(爆心地から1km)で被爆しました。 被爆時に一緒にいたお母さんは、9日後の8月15日に亡くなりました。 私は、当時の寺本さんと同じ年頃の子どもたちに講話をすることがあります。 同じ年頃ですから、戦争をしていた苦しい時代の生活と現在の楽しく生活が出来る環境を比較しながら、平和学習をしていただきたいと思っています。
 故兒玉光雄さんは被爆時12歳。 県立広島第一中学校1年生の時、現在の国泰寺町(こくたいじちょう)一丁目にあった校舎の教室で被爆しました。 爆心地から876mの距離です。 放射線障害により2か月間寝込み、60歳を過ぎると直腸ガン、胃ガン、甲状腺ガンになり、また、16回におよぶ皮膚ガンの手術を受け、その闘病生活を乗り越えながら証言活動に取り組んでおられました。 兒玉さんは特に、被爆者の染色体異常が被爆2世へ与える影響について危惧しておられました。 また、被爆者のガン、原爆小頭症、そして被爆が人の意識や生き方にまで影響を与えた事など、被爆にまつわる様々な問題について、重要な研究課題の問題提起をされました。
 亡くなられた証言者のご遺族からも資料やご連絡をいただくことがあり、活動の励みになっています。 単に被爆体験の記憶を受け継ぐだけでなく、遺族の強い思いも引き継いでいくことが、伝承活動において重要なのではないかと学ばせていただいております。
ボルゴグラード大学での英語伝承講話
ボルゴグラード大学での英語伝承講話
 被爆体験伝承者は現在、広島市内だけでなく、日本全国へ派遣されて講話を行っています。 海外に派遣されることもあります。 私はロシアのボルゴグラード大学で英語での伝承講話を行い、生涯忘れることの出来ない貴重な体験をし、幅広い知識を深めることが出来ました。 英語教諭だった松島圭次郎さんは生前、体調を崩されながらも、私の講話の英文の添削を事細かにしてくださいました。 恐らく、ご自分がいなくなった後にも、その体験を受け継いで語ってほしいという強い思いで、最後の力を振り絞られたのではないかと想像しております。 その思いに応えるべく、継続的な努力を重ねないといけないと自覚し、私も日夜英語の訓練を頑張っています。 英語講話後のアンケートでは、アメリカ、イギリス、カナダなど英語圏の聴講者から嬉(うれ)しい評価をいただいています。 また、2016年のG7広島外相会合の際には外国人記者に英語で伝承講話をする機会があり、当時の岸田文雄(きしだ ふみお)外務大臣や湯﨑英彦(ゆざき ひでひこ)広島県知事も会場に来られ、励ましのあいさつと握手をいただきました。 その講話の様子は全国各地で放送されたようで、方々から連絡をいただき、改めて英語での伝承講話の重要性を認識しました。
 今後の伝承活動の課題としては、次の伝承者の育成があります。 私も70歳代となりました。 貴重な「被爆体験証言者・松島圭次郎さん」の伝承講話を継続させるためには「1期生伝承者の次の伝承者の育成」が緊急の課題なのです。 また、高齢化が進む被爆者が3年間指導して伝承者を育成するのは大きな負担です。 先輩伝承者が研修をアシストし、相談を受けるなどして、伝承者を育てていくといった制度も必要ではないかと思っています。
 
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