国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、被爆の実相を伝えるため、毎年テーマを定めて企画展を開催し、被爆体験記や追悼記などを展示しています。
今回は「さし出された救いの手」と題し、被爆の惨状
(さんじょう)の中で助け合う人々の様子を紹介しています。
昭和20年8月6日に投下された原子爆弾により、広島の街は一瞬にして壊滅的な被害を受けました。
瓦礫
(がれき)の下で助けを求める人、瀕死
(ひんし)の状態で逃げ惑まどう人、皆我が身のことで精一杯でした。
こうした中でも家族や友人、あるいは見も知らぬ人のために必死で救出活動をする人や、貴重な食べ物・衣服を提供する人、寝食を忘れて看護に携
(たずさ)わる人々がいました。
火の迫る中での救出、思いもかけぬ親切、必死の看護。
苦しい時にさし出された救いの手は、希望を失いかけた被災者に生き抜く勇気を与えました。
今回、展示している被爆体験記の中から、倉本豊子
(くらもと とよこ)さんと松尾清子
(まつお きよこ)さんの体験記(抜粋)をご紹介します。
倉本さんは当時19歳でした。
崩れた壁の下敷きになって動けない祖母を救うため、家の前を通りかかる人に助けを求めます。
……私は表に出て「おばあちゃんを助けて」と言って、その中の男性の手にぶら下がりました。
そうしたらすごい顔をして私の手を振り払うのです。
それで次の男性の手へ「助けてください」と言ってぶら下がったのです。
その人は「どこなんだ」と言って、家に入ってくれたのです。
その人と私とで壁を持ち上げ、おばあさんはやっと足を引き抜くことができました。
妹はと思って見れば、何かが飛んで来たのでしょうか。
ちょうど胸の上辺りと右手首を切っているのです。
血がどんどん出ていて、「もう死ぬけぇ。もうだめだから。あんたら逃げて」と言うのです。
私は「あんた、そんなこと言いなさんな。とにかく逃げないとだめよ」と言って、連れて逃げました。……
建物の下敷きになった人を助け出す兵士たち。
救援隊の中にも放射線の影響で倒れたり亡くなる人が出た。
「市民が描いた原爆の絵」(田島武雄(たじま たけお)さん作)
松尾さんは当時6歳で、友達と遊んでいる時に被爆しました。
何が起きたのかもわからないまま、ただ大人の人について避難しました。
……随分長い時間、逃げ回っていたように思えます。
ようやく着いた場所は、見慣れない神社でした。
一緒に逃げてきた友達の顔を見ると、ススで真っ黒、別人の様でした。
私も同じような様相をしていたに違いありません。
口の中にまで入ったススで気持ち悪く、足もケガをしていました。
そこに追い打ちをかけるように黒い雨が降ってきたので、近くの防空壕に移動しました。
防空壕の中も負傷者でいっぱいで、既に息絶えている者も多くいました。
国民学校一年生の私たちは、防空壕の中で恐怖と雨にぬれた寒さに震え、泣くばかりでした。
そんな私たちの様子を気の毒に思ってくれたのでしょうか、見知らぬ母娘が「泣かないのよ。大丈夫、大丈夫」と優しく声を掛けてくれ、自分たちの荷物から肌着を出し、私たちに着せてくれました。……
体験記の続きは、館内の企画展会場もしくは体験記閲覧室で読むことができます。
また、
当館のホームページにも掲載しています。
会場では、体験記とともに、被爆者が描いた絵や衣服などの被爆資料も展示しています。
また、体験記を、関連する写真や絵を用いた映像と音声で紹介し、被爆の悲惨さを訴えています。
この映像については、過去の企画展で制作したものも含め、体験記閲覧室で観ることもできます。
被爆者の「こころ」と「ことば」にふれてください。