和文機関紙「平和文化」No.180, 平成24年5月号
平成24年 追悼平和祈念館企画展

しまってはいけない記憶 ―家族への思い―

■ 期間: 平成24年1月2日~12月28日
■ 会場: 追悼平和祈念館 地下1階 情報展示コーナー
 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、被爆の実相を伝えるため、毎年テーマを定めて企画展を開催し、被爆体験記や追悼記などを展示しています。
 今回は「家族への思い」と題し、被爆の惨状(さんじょう)と亡くなった家族への思い、平和への願いを体験記を通じて紹介しています。
 昭和20年8月6日、一発の原子爆弾により広島の街は一瞬にして破壊され、多くの尊(とうと)い生命が無差別に奪われました。 そして、生き残った人々もまた、家族とのつらい別れを体験したのです。
 今回、展示している被爆体験記の中から、西岡克巳(にしおか かつみ)さんと岡田恵美子(おかだ えみこ)さんの体験記(抜粋)をご紹介します。
西岡さんは当時15歳、家族を捜さがすため広島市に入り、入市被爆しました。
「市民が描いた原爆の絵」河野寛治さん作

「市民が描いた原爆の絵」
河野寛治(こうの ひろはる)さん作

……七日の午前中、やっとの思いで、川と道路を目当てにして、自宅であったろうと思われる所で只、忙然と時の流れを忘れて、佇づんでいた。 どれ位、時間が立っただろうか。 同じ三菱重工の社宅の人と逢い、家族全員死亡した事を知らされた。 只、母は重傷を負い、担架に乗せられ、運ばれた事を知った。 その社宅の人がどこからともなく、大きな壷を持って来て下さった。 真綿を踏むやうなフワフワの瓦を起し乍ら、燻ぶる匂も気にならず、載いた壷に妹達の遺骨を採集していた。 形ある骨、崩れ落ちるはかない骨を拾い乍ら幼き妹達の顔が浮んだ。 良子、文子、和子と妹達の名前を呼び乍ら、いつしか、とめどもなく、流れ落ちる涙をどうしようもなかった。 そして、壷一杯になった遺骨を懐き乍ら長い事坐り込んでいた。……
岡田さんは当時8歳、尾長町(おながちょう)の自宅にて被爆しました。
「市民が描いた原爆の絵」吉村吉助さん作

「市民が描いた原爆の絵」
吉村吉助(よしむら きちすけ)さん作

……真青な空に三機の飛行機、キラキラと見え弟は バンザイバンザイと手をふっておりました。 その時「ピカー」と光り地面に横倒しになりました。 次に目にうつったのは、自宅のカベが落ち柱が「く」の字にまがり、中から母が頭から血を流しながら出て来るのが見え、私の家に焼夷弾が投下されたと思いました。 弟は腕や足がみるみるやけどでひぶくれ、泣きさけんでいました。 頭髪は逆立ち衣服ははがれ、性別が解らない程火ぶくれてる人達と山のふもとに避難しました。 私は嘔吐がはげしく苦しかった事は忘れてません。 その夜ゴーと市内が大火で空が真赤になりこわかった。 その後、夕やけを見ると、その時の事を思い出し、何も考えられなく家の中に入ります。 私の心の中に悲しい、暗い、重たい形のない物が今だに残ってます。……
 体験記の続きは、館内の企画展会場もしくは体験記閲覧室で読むことができます。 また、当館のホームページにも体験記を掲載しています。
 会場では、32編の体験記とともに、被爆直後に撮影された写真や被爆者が描いた絵、焼けた衣服などの被爆資料も展示しています。 また、体験記を、関連する写真や絵を用いた映像と音声で紹介し、被爆の悲惨さや平和の大切さを訴えています。 この映像については、過去の企画展で制作したものも含め、体験記閲覧室で観ることもできます。 なお、映像はDVDでの貸出も行っておりますので、ご希望の方は当館までお問い合わせください。
 体験記を通じて、被爆者の「こころ」と「ことば」にふれてください。

(原爆死没者追悼平和祈念館)

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