追悼平和祈念館開館10周年記念特別企画展
失われた爆心の街 〜原爆死没者の遺影と被爆体験記から〜
を開催しました
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、平成14年8月1日に開館し、10周年を迎えました。 開館以来、原爆で亡くなった方々のお名前や遺影(約18,000人)、 被爆者、その遺族や友人が書いた被爆体験記(約130,000万編)、 証言映像(約1,100本)などを収集し公開しています。
  昨年8月1日から9月30日まで開催した開館10周年を記念する企画展では、当館が位置する現在の平和記念公園周辺に焦点をあて、 この地域で被爆した2,111人のお名前や遺影と八編の被爆体験記を展示し、 また、この地域の被爆前の写真、当館建設時に発掘された被爆資料や地層の断面標本などを展示して紹介しました。 なお、地層の断面標本は、引き続き3月31日まで展示します。
  かつて、この地域で多くの人々が生活を営んでいたことを知っていただき、原爆の恐ろしさ、平和の尊さを伝えました。
展示風景
地層の断面標本
今回、展示した被爆体験記の中から、福島和男(ふくしま かずお)さんと野村英三(のむら えいぞう)さんの体験記(抜粋)をご紹介します。

福島和男さん(当時13歳)の自宅や父が経営していた旅館は、中島本町(なかじまほんまち)相生橋(あいおいばし)南詰(現在の平和記念公園北端)近くにあり、原爆により家族6人を失いました。 少年時代に家族や友達と過ごした被爆前の中島地区の様子をなつかしく書いています。
……天神町との境目に銭湯の桜湯があり、子供たちのコミュニケーションの場であった。 ふろのない家が多く、ふろのある家の子供でさえ「オイふろ屋へ行こうや」と誘いあって数人で行ったものだ。 浴場から上がって座敷で相撲をとったり、パッチンをしたりして遊んでいると、時々うるさいおじさんに「バカたれ! 静かにせえや」と怒鳴られた。 帰りがけに集散場の一銭屋(駄菓子屋)へ寄ってラムネを飲んだり、お菓子を食べたりして、遊びながら帰ったので冬は風邪もよく引いた。……

野村英三さん(当時47歳)は、中島本町の燃料会館(現在の平和記念公園レストハウス)の地下室で被爆しました。 元安橋(もとやすばし)の惨状、元安川の水の竜巻、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)の燃える様子など、被爆直後の爆心地付近の状況が詳細に書かれています。
……外は真黒い煙りで暗い。 半月位の明るさだ。よく見ると広瀬の顔から手から血が流れている。 急いで元安橋の所へ来た。 ふと橋上を見ると中央手前の辺りに、まる裸の男が上向けに倒れて、両手両足を空に伸ばして震えている。 そして左腋下のところに何か円い物が燃えている。 橋の向こう側は黒煙で覆われて炎がちらちら燃え立ちはじめて見える。
  橋を渡らずに現在の平和塔の方へ走って行った。 ここは家屋疎開の跡で広場と一部菜園になっている。 そして川に下りる石段の所に行って二人は腰を下ろした。……

体験記の続きは、体験記閲覧室や当館のホームページ>>で読むことができます。
  体験記を通じて、被爆者の「こころ」と「ことば」にふれてください。


(原爆死没者追悼平和祈念館)

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