和文機関紙「平和文化」No.182, 平成25年2月号

「収蔵資料の紹介」コーナーで「最期の言葉」を開催しています

 「収蔵資料の紹介」コーナーでは、平和記念資料館で収蔵している約21,000点の資料の中から、半年ごとにテーマを定め、展示替えを行っています。
 昭和20年(1945年)8月6日、1発の原子爆弾により広島のまちは、一瞬にして廃虚と化し、多くの人々が、苦しみながら亡くなっていきました。 人から伝え聞いた弟の最期の言葉、ひん死のわが子がつぶやいた言葉。 最期に発せられた言葉は、時を経ても、遺族の心から消えることはありません。
 今回は、亡くなった方々の最期の言葉と遺族の思いを、遺品とともに紹介しています。
 展示場所:平和記念資料館東館三階ミュージアムショップ前
 展示期間:平成24年10月4日(木) ~ 平成25年4月11日(木)
 展示資料:定期入れなど実物資料6点
木島和雄君(当時15歳)

木島和雄(きじま かずお)君(当時15歳)

遺品「定期入れ」(寄贈/船附小子氏)

遺品「定期入れ」
(寄贈/船附小子(ふなつき さよこ)氏)

「これを宮島の家族へ渡して下さい」
 片足が崩れ落ちた駅の梁(はり)に挟(はさ)まった弟は、生徒手帳と定期入れを自分の身代りに差し出して、意識があるまま焼かれてしまった。

(平和記念資料館 学芸課)

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