被爆体験記の執筆をお手伝いしています
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、被爆者の高齢化が進むなか、「被爆の記憶を体験記に残したいけど、自分ひとりでは文章にまとめられない」という方のために、被爆体験記執筆補助事業を行っています。 この事業は祈念館職員が自宅等に出向いて、被爆体験を聞き取り、体験記としてまとめるもので、平成18年度から実施し、平成25年度までに93名の聞き取りを行いました。 平成26年度は11名の聞き取りを行い、順次、被爆体験記を完成させ、館内で公開しています。 また、企画展やホームページ掲載、多言語化、公的機関への提供等に活用しています。
聞き取りの様子
被爆者にとって、69年前の体験は昨日のことのように脳裏
(のうり)
から離れることがなく、被爆当時の悲惨さを記憶の奥から絞しぼり出すように語られます。 今まで心の奥底に秘めていた思い出したくない体験を初めて話される方も多く、特に若い世代に体験を伝え、二度と繰り返してはならいという強い使命感を持って、応募されています。
今回、執筆をお手伝いさせていただいた体験記から、山代一美
(やましろ かずみ)
さん(当時16)の体験記(抜粋)をご紹介します。
山代さんは、勤務先である広島陸軍兵器補給廠
(しょう)
で被爆しました。
……比治山に登りました。 足の踏み場が無いほど、多くのけが人がいました。 みな、やけどで火ぶくれになって、同じような顔をしていてひどかったです。 「水をくれ、水をくれ」と言われました。
……その人たちはまるでおばあさんのような顔をしていて、年齢もわからなかったです。
……腕をおろすと、熱線によるやけどでむけてしまった皮が身体について痛いから、皆腕を前に出しているのです。 そして、誰もが山頂まで登りきったと思うと、バタバタと倒れて亡くなっていきました。 見下ろすと、山道の途中にも力尽きてしまった人々が累累と横たわっていました。
当館では、この事業によるものを含め、現在、約135,000編の被爆体験記を公開しています。 ぜひ、ご来館いただき、被爆者の「こころ」と「ことば」にふれてください。
(原爆死没者追悼平和祈念館)
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