大田孝由(おおた たかよし)さん (平成27年度から活動)
私は1947年に広島市で生まれ、5歳の時に大阪へ引っ越しました。
広島で被爆した母は、見知らぬ土地で、健康不安を抱えながらも、困窮していた家計を助けるために働いていました。
幼かった私にも、その苦労は分かりました。
母が亡くなった後、あらためて自分の人生を振り返った時、母に対して何一つ親孝行らしいことができなかったことに悔いが残りました。
そんな折に広島市の被爆体験伝承者の募集を知り、早速応募しました。
私が母に対してできる最大の親孝行は被爆体験を伝承することだと思ったからです。
偶然ですが、私は自分と同じ町の出身である梶本淑子
(かじもと よしこ)さんの被爆体験を伝承しています。
講話では話の内容を5つの部分に分け、太平洋戦争の初期・食糧難・集団疎開・原爆投下による被害の実相・梶本さんの被爆体験について話をします。
梶本さんは女学生だった14歳の時、学徒動員で働いていた工場で、作業中に被爆しました。
自身も怪我をしましたが、よりひどい怪我をした友人たちを助け、担架で運びました。
講話では、逃げていく途中で梶本さんが見た惨状を詳しく語ります。
また、梶本さんのお父さんが、自らの二次被害を顧みず娘を探しに市内へ入り、奇跡のような再会を果たすことや、被爆後の療養の様子についても語ります。
そして、被爆者としての体験に基づく梶本さんの平和に対する想いを、次世代の人に分かりやすいメッセージとして伝えます。
講話の内容が小学生から大人向けであることを考えると、幼児向けの紙芝居的なものがあれば良いなと感じています。
多くの皆さんから「聴いて良かった」、「あらためて戦争の怖さが分かった」、「二度と戦争をしてはいけないと思った」という感想をいただき、いろんな機会をとらえて、多くの世代を対象に講話をすることの必要性を感じます。
講話を実施した幼児から大人まで、皆さん熱心に聴いていただきました。
ビデオや映画を見るのとは違い、語る表情や言葉の間などを細かい点まで感じていただいていることが良く分かりました。
講話は何回やっても慣れるという事はありません。
いつも緊張します。
伝承者として、「なぜ語るのか」、「何を伝えたいのか」を常に自問自答しながら日々活動しています。
大中伸一(おおなか しんいち)さん (平成27年度から活動)
私は以前から広島県原爆被害者団体協議会のガイドとして平和記念公園で「碑めぐり」を通じて被爆の実相を子どもたちに伝えていました。
しかし、公園での案内では、多い時でも1クラス。
もっと多くの子どもたちに一度に伝えるために、被爆体験伝承者になりました。
また、被爆者が高齢化し、被爆の実相を次の世代に伝える必要があると感じていたことも理由の1つです。
私は新井俊一郎
(あらい しゅんいちろう)さんの被爆体験を伝承しています。
新井さんは当時の時代背景を分かりやすく話してくださいました。
直接被爆ではなく、後から広島市内に入って被爆した入市被爆者で、体には外傷がなく、「客観的」に被爆体験を話されます。
私の父も入市被爆者で、新井さんと同じような体験をしています。
新井さんは、本来なら、広島市内で「建物疎開作業」に動員されて亡くなっていたかもしれない中学生です。
新井さんが通っていた学校だけが、爆心地から約20km離れた東広島市に疎開中だったため、直接被爆をまぬがれました。
しかし、8月6日、母校に報告書を届けるため広島市に入り、「運命的な」被爆を体験されました。
私の講話では、新井さんの疎開先での生活や被爆時の体験、広島市内に入ってからの行動、そして何よりも、被爆体験から来る「仲間が原子爆弾によって殺された。原爆と戦争は絶対にいやだ」というメッセージを、現在の世代に伝えています。
講話では、できるだけ分かりやすく話をしたいと思っています。
そのために、なぜ広島に原爆が落とされたのかということや、原爆の熱線、爆風、放射線による被害の実相の話をしてから、新井さんの体験を話しています。
特に、放射線が人体にどのように作用するのかを話しておかないと、後から市内に入った人や、市内に入っていなくても救護作業や死体処理作業をした人々の被爆の実相は、理解が難しいからです。
1時間の講話のうち約45分間は「聞く方にとってはとても長く、話す者にはとても短い時間だ」と、話す側に立ってみて、初めて感じています。
スライド資料を見せながら解説し、来場者の視覚と聴覚に訴えています。
「分かりやすかった」、「よく分かった」という感想を聞くと、とても安心しますが、無反応の場合もあります。
毎回、毎回が反省の連続です。
核兵器の恐ろしさは、まだまだ知られていません。
できるだけ多くの方々に被爆の実相を伝えたいと思っています。
できれば全県で講話を行いたいです。
核兵器をなくすため、戦争の防止や核兵器禁止条約の展望についても語りたいと思っています。
核兵器禁止条約の理念が書かれた「前文」には、現在および将来の世代のため、平和・軍縮教育の重要性が盛り込まれました。
伝承活動が平和教育の一環として重要だという点を肝に銘じ、頑張りたいと思います。
大中さんの講話の様子