平和記念資料館では、原爆被害の実相を伝えるための貴重な資料として、被爆者やその遺族が保存されている被爆資料の収集・保管に努めています。
令和元年度(2019年度)は、新たに47人の方から、4,758点の寄贈がありました。
その一部を展示しています。
戦後76年が経過し、被爆資料や資料にまつわる詳細な情報の収集が次第に困難になっています。
資料館では、核兵器廃絶のため、原爆がもたらしたさまざまな被害を将来にわたり伝えていきます。
被爆資料の当館への寄贈について、ご協力いただきますようよろしくお願いいたします。
(左)山根秀雄(やまね ひでお)さん(当時12歳)の遺品となった弁当箱。秀雄さんは建物疎開作業現場で被爆し、そのまま行方不明となった。
(右)昭和16年(1941)年6月23日、母・初恵さんの誕生日/秀雄さんと妹たち
(寄贈 山根芳枝(よしえ))
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山根秀雄(やまね ひでお)さん(当時12歳)の遺品となった弁当箱。秀雄さんは建物疎開作業現場で被爆し、そのまま行方不明となった。 (寄贈 山根芳枝(よしえ)) |
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昭和16年(1941)年6月23日 母・初恵(はつえ)さんの誕生日/秀雄さんと妹たち (寄贈 山根芳枝) |
【お問い合わせ】
平和記念資料館 学芸課
TEL(082)241-4004