和文機関紙「平和文化」No.215, 令和6年3月号
 赤十字国際委員会(ICRC)は、公平で中立、かつ独立した組織で、武力紛争等で犠牲となる人々の生命と尊厳の保護を使命としている。 核軍縮においても人道的アプローチの議論の進展に貢献してきた。  2011年に代表者会議で採択した決議では、① 核兵器の使用によってもたらされる甚大な被害は対応不可能であり、② 核兵器の使用は国際人道法の定める理念と一般的に両立しないことから、各国政府に対し、核兵器が使用されないこと、使用禁止と完全なる廃絶を目指す交渉を始めることを求めた。
 

核兵器廃絶に向けた
赤十字国際委員会取り組み

はんざわ しょうこ

榛澤 祥子

赤十字国際委員会 駐日代表

榛澤祥子氏
はんざわ しょうこ

榛澤 祥子

赤十字国際委員会 駐日代表

2019年にICRCに入り、駐日代表部の人道調整顧問として人道原則および国際人道法の普及に努める。 2023年6月より駐日代表に就任。 ICRC以前は、外務省や国連難民高等弁務官事務所に勤務するなど、10年以上人道支援の分野に携わっている。

 赤十字国際委員会(ICRC)の核兵器廃絶に向けた取り組みは、1945年まで遡ります。 1945年8月29日、赤十字の外国人職員で最初に広島入りしたのは、ICRCのフリッツ・ビルフィンガーでした。 翌日、東京にあるICRC代表部に電報を送り、現場の悲惨な状況を伝えるとともに即座の支援を要請しました。 これを受けて、駐日代表として着任したばかりのマルセル・ジュノーは救援体制を組みました。 ビルフィンガーの電報には、「30日に広島訪問、凄惨な状況。 街は壊滅状態、病院の8割は全壊または甚だしく損壊。 救急病院を二つ視察したが、状況は筆舌に尽くしがたい。 爆弾の影響は信じがたいほど破壊的。 回復に向かっているかに見えた患者の多くが白血球の減少などの体内の異常により突然危篤状態に陥り、膨大な数の人々が生死の境をさまよっている。 周辺の病院には現在も10万人以上の負傷者がいると推定されるが、不幸にも薬や包帯が足りず。」と記されています。
 ビルフィンガーに続いて、実際に自らの目で広島の惨状を見たジュノーが執筆した「The Hiroshima Disaster」の最後には次のような一文があります。 「結論として、1ヵ月後とはいえ、この新しい兵器の劇的な結末を目の当たりにした者としては、今日の世界が、存続か消滅かの選択を迫られていることに疑いの余地はない。」 世界で初めて原爆が使用されてからほどなく、ICRCは核兵器に対する明確な姿勢を表明し、各国の赤十字社・赤新月社に対して、核兵器は廃絶すべきであるという見解を伝えました。 この姿勢は決して揺らぐことなく、現在まで続いています。
 しかしながら、核兵器をめぐる議論は、伝統的に安全保障論や地政学的な議論が主流であり、核兵器は、国家や地域の安全保障を担保し、地政学的な均衡を保つための有益なツールとみなされていました。 そのような中、2010NPT再検討会議直前の4月20日、当時のICRC総裁であったヤコブ・ケレンベルガーは、核兵器の使用によりもたらされる筆舌に尽くしがたい人的被害や人類の存亡そのものに対する脅威に言及し、核兵器のいかなる使用も国際人道法の規則と合致するとみなすことは難しいとしたうえで、人類の利益のために核兵器の時代に終止符を打つよう各国に訴えました。 ICRCのこの声明に続いて、赤十字運動は、核兵器に対する以前からの一貫した見解を再確認し、廃絶に向けた取り組みを各国に訴えかけるとした決議を、核兵器廃絶を目指す4ヵ年の行動計画とともに採択しました。 その後、核兵器の人道イニシアチブ(人道的アプローチ)の機運が高まり、人類を核兵器のない世界へと導く、核兵器禁止条約の採択・発効へと繋(つな)がっていきます。
 昨今の不安定な世界情勢を受け、核兵器の使用を仄(ほの)めかす威嚇が続き、核兵器を重要視する声が再び大きくなっていることを、私たちは憂慮しています。 1945年に使用され12月末までに約14万人もの人命を奪った広島原爆の核出力は15キロトンでしたが、今日ではそれは小型核兵器に分類されるものです。 核兵器の使用により生じるであろう人命救助などの膨大な人道ニーズに対応できる国や国際機関は存在しません。 対策がとれないもの、対応ができないものは、未然に防ぐしかなく、核兵器が再び使用されることを防ぐには、廃絶するしか方法はありません。 そのために欠かせない役割を果たすのが、核兵器禁止条約です。 ICRCは、この重要な条約への署名、批准を、各国に引き続き働きかけていきます。
 ICRC駐日代表部も、核兵器廃絶に向けた取り組みに力を入れています。 そのひとつが、若者のエンパワーメントです。 広島出身の高垣慶太(たかがき けいた)さんは、広島、長崎で原爆救護に携わった二人のひいおじい様から使命を託されたという思いを持ち、核兵器廃絶に向けた活動を熱心に続けています。 過去2回開催された核兵器禁止条約締約国会議にもICRCユース代表として参加し、各国政府代表の前でICRCの声明を読み上げたり、サイドイベントで各国のユースの中で被爆の実相を発言したりするなど大きく貢献してくれました。 高垣さんの活動を通して広島のたくさんの人たちと知り合いましたが、そのうちの一人が被爆者の切明千枝子(きりあけ ちえこ)さんです。 2021年9月に被爆建物である旧広島陸軍被服支廠(ししょう)を見学したのが、切明さんとの最初の出会いでした。 被服支廠の近くで家族と生活していた切明さんが原爆投下後に見た広島の夜空は、片方が燃える炎で真っ赤な、もう片方がきれいな星が出ている二つに分かれていました。 切明さんがいつも伝えているメッセージがあります。 「平和なんて危ういものだと思う。ちょっと油断するとすぐどこかへ逃げてしまう。それこそ風船みたいに。だから、逃がさないようにみんなで捕まえてしっかり守っていかないと。」 戦争を経験した切明さんのこの重い言葉を受け止め、これからも核兵器の廃絶に向けて、人道的アプローチを推進するためにICRCは力を尽くしていきます。
(2024年2月)
 
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