和文機関紙「平和文化」No.216, 令和6年6月号

~ウチも、ワシも~ 
広島市民じゃけえ!

―外国から来て広島市民になった人に
お話を伺いました―

フセイン・ザバッドさん(ドイツ/レバノン)

フセイン・ザバッドさん
 私は大学でプロダクトデザインを学ぶ学生です。 父はシエラレオネ、母はコートジボワール出身、そして二人ともレバノンにルーツがあります。 彼らはドイツで出会い、私が生まれました。 私はドイツで育ちましたが、自分のアイデンティティを考えた時、どの国や文化にも属していないと感じます。 そのことに、今でも悩み苦しむことはありますが、国境や国籍による区別は人が作ったものであって、自分は"地球の子"であるのだと考えています。
 現在まで様々な文化に触れながら生きてきましたが、どんな状況にあっても私を支えてくれたのがイスラム教です。 多くの困難を、「神が自分の傍にいてくれる。」と考えることで乗り越えてきました。 私は、イスラム教は倫理的であり、筋が通っていると捉えています。
 例えば断食です。 断食をすることで飢えに苦しむ人々に共感し、空腹やのどの渇きに耐え、その欲望に打ち勝てたとき、内面的な平和を見出すことができます。 また、消化器官を休ませる目的もあります。 はじめて断食をする人は、初日がとても苦しいと思います。 吐き気や腹痛、頭痛に襲われることもあります。 普段は数時間置きに体内で行われていた消化活動をしないため、身体が毒素を排出し始めると考えられています。 断食の目的はそれだけではありませんが、誰かの苦しみに共感すること、内面的な平和を得ること、身体から毒素を出すことなど、全て理にかなっていると感じます。
 また、イスラム教は元々、全ての"モノ"に権利を与える為の教えを説いた宗教です。 動物、植物、人間、地球上全てのモノには権利がある、という考えです。 イスラム教に対する誤解の一つに、男性と女性の関係性がありますが、女性の権利や尊厳を尊重することは当たり前のことです。 全ての生き物には権利があるのですから。 メディアで目にすることのある、女性への差別や抑圧は、決して宗教の教えではないことを知ってください。 そういった問題は、その地域の伝統や慣習によることが多く、イスラム教の教えとはかけ離れています。 現在、私はパレスチナの平和を願い、訴える活動もしていますが、それもまた、抑圧や差別には声を上げることが当然であると考えているからです。
 そんな考えを持つ私ですが、イスラム教のコミュニティの中で自分の居場所を探すことは必要ないと感じています。 アイデンティティを探すことは確かに一つの課題ですが、自分が現在どこにいて、これからどうなりたいか、それはコミュニティや他人の考えに依存しないものです。 私はイスラム教徒としてコミュニティに確かに支えられていますが、それは私の一部だけであり、私という存在が100%認められ支えられているわけではありません。 私が信じているのは愛と平和であり、ただその理念を傍で支えてくれているのがイスラム教であるということです。
 私は多くの場所を訪れ、その地域の文化に触れることが大好きです。 他の宗教や考え方を知ることも好きで、決して否定はしません。 他の考え方を否定する人たちを見ると悲しくなります。 私がプロダクトデザインを学んでいるのは、創造することが好きなのはもちろん、グローバル化が進む世界で、様々な文化や国のデザイン要素を融合し、それぞれの美学や価値観を尊重したデザインを広めたいという思いがあるからです。
 私はこれからも"地球の子"として、様々な問題と向き合い、自分に何ができるのかを考えて行動をしていきます。 広島や長崎で起こった悲惨な歴史が、世界で繰り返される可能性が高まっている今、みなさんも現在地球上で起こっている紛争や虐殺に対して一緒に行動を起こしていってくださると嬉うれしいです!
 
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