被爆の実相こそ
核軍縮議論の核心
古山 彰子
NHK長崎放送局記者
今年2月、東京から大阪方面に向かう新幹線の車内でのことだ。
窓越しに雪化粧した富士山が見えた。
夕日に照らされた姿が何とも美しく、思わず隣にいた外国人女性に「富士山ですよ」と声をかけた。
インドから家族旅行で訪れたこの女性は、今夜は京都に泊まり、その後は広島まで足を延ばすという。
「なぜ広島に?」と尋ねると、平和記念資料館の訪問が目的だという。
思い切って「インドの核兵器保有についてどう思うか?」と質問すると、こんな答えが返ってきた。
「核兵器を保有すること自体に問題はない。ほとんどの国が保有しているではないか。問題は使用しないことだ。」
少数派が唱える「核抑止」論
実際、「ほとんどの国が核兵器を保有している」というのは事実誤認だ。
現在、核兵器を保有しているのは、NPT(核兵器不拡散条約)で「核兵器国」と定められたアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に加え、NPT非加盟国であるイスラエル、インド、パキスタン、そして一方的に脱退を表明した北朝鮮の計9ヵ国である。
また、日本をはじめとする核兵器国に頼る安全保障政策を採用する「核傘下国」などと呼ばれる国が34ヵ国ある。
世界の国の数は200ヵ国ほどなので、「核兵器を保有する国」と「核兵器に頼る国」(計43ヵ国)は世界的に見ると少数派だ。
これらの国は、核兵器の使用という威嚇によって敵に攻撃を思いとどまらせる「核抑止」という戦略を採用している。
威嚇の先にある核兵器の使用に関しては、広島と長崎への原爆投下がもたらした惨状から、核兵器は無差別に大量の人間を殺傷する兵器であること、そして被爆者は何十年にもわたって後遺症などの健康被害だけでなく、差別や偏見にも苦しむことがわかっている。
核保有国が自発的に核兵器を使用する場合でなくても、不慮の事故で核兵器が爆発すれば、その影響は国境を越えて拡散する。
つまり、「核抑止」戦略を採用していない世界の大多数の国にとって、核兵器は安全保障の手段ではなく、自国民の命を脅かす兵器でしかないのだ。
多数派が唱える「人道イニシアティブ」
2010年ごろ、軍縮外交を牽引するオーストリアなどの外交官、研究者、NGOの専門家などをメンバーとする小さなグループは、核兵器が人道におよぼす影響に焦点を当てながら、核兵器をめぐる議論の枠組みを再構築し始めた。
これがのちに、「人道イニシアティブ」として広く認知されるようになるアプローチだ。
このアプローチは核保有国が定めた既存の秩序に疑問を投げかけながら、国際世論に大きなうねりを生み出した。
それを基盤に、7年後には世界の大多数(122の国と地域)の賛成をもって、核兵器禁止条約が採択された(2021年発効)。
被爆の実相を紡ぐ
私は記者としてこの過程を追い、国際会議で被爆者が被爆の実相を訴える姿を取材してきた。
その1人が、長崎の被爆者で日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の事務局次長の和田征子さんだ(81)。
被爆当時1歳10ヵ月だった和田さんは、母親から聞いた話をもとに証言活動をされている。
自宅が山陰にあったため家族は無事だったが、近くには全身にやけどを負った人たちが次々と避難してきた。
また、自宅の隣にあった空き地は、遺体を焼く場所として使用されたという。
私が和田さんを最初に取材したのは2016年だった。
当時、長崎に土地勘がなく、「爆心地から2.9キロ離れた自宅で被爆した」と伺っても、それがどんな場所だったのかを具体的にイメージできなかった。
昨年9月に長崎放送局に配属され、今年に入って和田さんと再会した際に、自宅があった場所について改めて尋ねると、「長崎市今博多町です。お宅のマンションのベランダから見えるでしょう」と教えてくださった。
和田さんが証言した「火葬場」は、今は公園になり、子どもたちが元気に走り回っている。
この平和な空間で、80年前にどれほどの人が苦しみ、息を引き取ったのだろうか。
語り継ぐ人や記録に残す人がいなければ、人道上の悲劇はあっという間に忘れ去られ、たった数十年で、「無かったこと」になってしまう。
私自身、核問題について地道に取材してきたつもりでも、いまだにほとんどのことを知らずにいるという現実を突きつけられた。
地球市民としてともに考える仲間に
存命する被爆者の数は、全国で10万6825人(2024年厚生労働省発表)で、平均年齢は85.58歳だ。
意思疎通が困難になった被爆者や、和田さんのように記憶のない「若い」被爆者もいる。
高齢化が進む一方、これだけの被爆者が今もご存命なのだ。
被爆者が最後の1人になるまで証言や思いを記録し、伝承していくのが私たちの使命だろう。
核兵器を生み出したのは人間なのだから、終止符を打てるのもまた人間であるはずだ。
そして、核兵器に関する議論の中核には、常に被爆の実相があるべきだ。
今月、ともに核保有国のインドとパキスタンで軍事行動の応酬が続くニュースを見て、新幹線で出会ったインドの女性とのやりとりをふと思い出した。
彼女は、広島平和記念資料館を訪れ、何を感じたのだろうか。
広島で被爆の実相に触れ、これから核兵器とどう向き合っていくのだろうか。
私たちの世代がこれからどんな世界を築いていくのか、地球市民の一員として、ともに考える仲間になってくれたらと願わずにはいられない。
(2025年5月)
(本稿の内容は著者個人の見解に基づくものであり、所属する組織を代表するものではない。)
〔こやま しょうこ〕
2011年NHK入局。
広島放送局、報道局国際部、欧州総局(パリ)、国際放送局を経て2024年より現職。
共訳書に「核兵器禁止条約『人道イニシアティブ』という歩み」(アレクサンダー・クメント著、古山彰子・林昌宏訳)(白水社、2024年)。