“平和について思う”
グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアティブの誕生
特定非営利活動法人ANT-Hiroshima 理事長 渡部 朋子
プロフィール
〔わたなべ ともこ〕

平和都市・広島を活動の拠点とし、国際協力・平和教育活動にたずさわっている。
また、広島市民や子どもたち、広島を訪れる海外の研修生などを対象として国際理解や平和教育を実践し、独自の平和構築活動をおこなっている。

第2回広島アニメーションフェスティバル(1987年)でグランプリに輝いたフレデリック・バック作の「木を植えた男」という美しいアニメーションをご存じでしょうか?
  一人の男が、その生涯をかけて黙々と木を植えつづけ、荒野を緑の森に変えてゆくという、詩情あふれ心揺さぶられる美しいアニメーション作品です。 「木を植える」という行為はシンプルですが美しく(よろこ)びがあります。 そして誰にでもできることです。 また植えた木を大切に守り育てていく過程で、命のめぐり―生と死―自然と共生する大切さ、多様性、寛大さなど、私たちは木から多くを学び、励まされ、力を与えられます。 「木を植えることは平和をつくること」私はそう感じています。
  広島は1945年8月6日、一発の原子爆弾によって廃墟と化し、75年間草木も生えないと言われていました。 しかし、その同じ年に廃墟でカンナや夾竹桃(きょうちくとう)などの花が咲き、焼け焦げた樹木が再び芽吹き、 その姿に多くの市民は勇気づけられ、生きる希望をみいだしました。 現在、広島市内の爆心地から半径2キロメートル以内にある原爆を生きのびた「被爆樹木」は、55ヵ所、約170本が現存しています。
広島城の堀の傍らに立つ被爆樹木(クスノキ)。爆心地から約1.1km。
ナスリーン・アジミ ユニタール(UNITAR/国連訓練調査研究所)本部長付特別上級顧問は、被爆樹木についてこう語ります。 「長年、広島の街を散策しているうちに、私は広島の特別な住人 ―原爆を生きのびた樹木とその子孫の木― の回復力、寛大さ、美しさ、 そしてとりわけ、 それらの樹木がもつ大切な意義を知ることになりました。 核の悲劇の生存者である被爆樹木は、広島に住む人びとや広島を訪れる人びとに対してだけではなく、全人類に対して重要なメッセージを伝えています。」
  私とアジミさんは、共同創設者とコーディネーターとして、2011年7月から2012年6月までの1年間、 ユニタールとNPO法人ANT-Hiroshimaの協力のもと、「グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアティブ」を実施いたしました。 このイニシアティブは、広島の被爆樹木の種や苗を世界中で育てていくことで、これらの樹木を守り、その存在と意味とを広く知らせていくことを目的としています。
  パイロット期間の1年間の活動で、多くの方々の協力 ―特に、現在はグリーン・レガシー・ヒロシマのかけがえのないワーキンググループメンバーとなった(公財)広島平和文化センター、広島市、広島市植物公園、広島大学、広島県、その他園芸専門家やボランティアの方々からの協力― を得て、世界のほぼすべての大陸に広島の被爆樹木の種を送ることができました。
今年3月30日に行われた植樹式。
平和大通り緑地帯に、被爆樹木(柿)の二世の若木が植樹されました。
樹木医(じゅもくい)堀口力(ほりぐち ちから)さんをはじめとするこれまで長く被爆樹木を守り育てて下さった方々、 また昨年亡くなられた被爆者の沼田鈴子(ぬまた すずこ)さんのように、 被爆樹木のアオギリを愛し、その希望のメッセージを世界各地に届けて下さっていた多くの市民の皆様のこれまでの努力と歩みが、 「グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアティブ」を成功に導いてくださったものと確信しています。 各人に感謝の言葉を伝えることは難しいですが、皆様のご尽力とご協力に心からの敬意と感謝を捧げています。
  この世界に広がる理想と活動をより首尾一貫した組織的な形で追及するために、2012年7月1日に任意団体 「グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアティブ」>> を設立しました。
  世界中の多くのパートナーがこのイニシアティブに参加し、それぞれの国で広島の平和のメッセージと緑の遺産を積極的に伝える大使となってくださることを祈念しています。
  皆様、一緒に木を植えましょう!
(平成24年8月寄稿)
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