禎子さんの思いを歌う国
モンゴルで語り継がれるヒロシマの物語
独立行政法人国際協力機構(JICA) 国際協力推進員 橋本(はしもと) 優香(ゆうか)
 佐々木(ささき)禎子(さだこ)さんの物語がモンゴルで歌い継がれていることをご存知ですか?  ある時、モンゴルを訪れた1人の日本人が、折鶴を作りながら禎子さんのお話を語ったそうです。 それを聞いたモンゴルの音楽家が曲を作り、今ではモンゴルで知らない人はいない程の歌になっています。 1人の小さな女の子に思いを寄せ、平和への願いを歌い継いでくれる・・・モンゴルとはそんな人々の暮らす国です。
 そんなモンゴルで活動した広島の人がいます。 青年海外協力隊の一員として派遣された大平(おおひら)(みどり)さんは、広島市出身。 広島の思いを伝えようと、自ら、原爆展を開催しました。 禎子さんのお話は歌を通して知っているモンゴルの人たちですが、あの日、きのこ雲の下で何が起こっていたのか、戦後、被爆者がどんな思いをしながら生きてきたのか、詳しいことを知っている人は、ほとんどいません。 核兵器は必要だと考える人も少なからずいます。
 大平さんは原爆展の中で、ポスターの展示やDVDの上映を行って客観的に被爆の実相を伝えることに加え、スライド資料を作って戦争を経験した自分のおばあちゃんのメッセージを伝えたり、テレビ通話を通して被爆者の山本(やまもと)定男(さだお)さんに証言をしていただくなど、会場と広島、モンゴルの人と広島の人をつなげる工夫をしました。 被爆証言のあとは質問が絶えませんでした。
おばあちゃんのメッセージを伝える大平さん
 会場にいたある先生は「今日学んだ事を友達や生徒に伝えていきたいです」と語りました。 かつて1人の日本人が伝えた禎子さんの思いが歌い継がれているように、大平さんによって伝えられた、おばあちゃんや山本さんの思いもまた、モンゴルで人から人へと大切に語り継がれていくのかもしれません。
 後日、モンゴルで制作された折鶴や寄せ書きが広島に届けられ、平和記念公園内の原爆の子の像に(ささ)げられました。 ヒロシマの思いを受け取りましたというモンゴルの人々からのメッセージのように感じました。
山本さんの被爆証言を聞くモンゴルの人たち
禎子さんを思いながら、鶴を折る来場者
 青年海外協力隊員による原爆展は、これまで67か国で165回以上行われてきました。 隊員によって世界各地に伝えられるヒロシマの思いは、現地でさらに人から人へと語り継がれていきます。
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