被爆体験伝承者から
尾崎(おざき)美栄子(みえこ)さん (平成27年度から活動)
 私は長い間ヒロシマ ピース ボランティアとして活動をしており、ボランティア仲間に誘われて広島市の被爆体験伝承者養成講座に応募しました。 講座では多くの被爆者の方の証言を聴き、その内容を約1万字の原稿に仕上げていきました。 これは私には大変なことでした。
 私は新宅(しんたく)勝文(かつふみ)さんの被爆体験を伝承しています。 新宅さんは被爆当時19歳で、当時の広島大学のグラウンド(中区千田町(せんだまち))から臨時の救護所があった御幸橋(みゆきばし)までケガやヤケドをした人たちを運んだり、グラウンドで被爆した人たちにお水をあげたり、極限の状況の中で自分ができることを考え、精一杯行動されました。 さらに被爆翌日にはお姉さんをさがして市内中心部に入られたので、新宅さんの証言を聴くと被爆当日、翌日の市内の状況がよくわかります。
 私は小学校で講話を行うことが多いのですが、生徒たちは本当に純粋です。 私の話を聴いて書いてくれた感想文などを読むたび、“この気持ちを忘れずに大人になってね。こんな子供たちがいる限り将来は大丈夫。”と思います。
 しかし、子供たちにこんなに心配をかけるような兵器を作ったのは誰でしょう? 何かの誤作動で世界を滅ぼすかもしれないような兵器を作ったのは誰なのでしょう? 「戦争をしてはいけない」と言いながら高価な軍艦を買うのは誰なのでしょう? 国民が選んだ代表者である政治家は、一般国民が、特に幼い子供が、本当に安心して暮らせるように、世界のかじ取りをしてほしいと思います。 海外旅行をすると感じることは、世界のほとんどは善良な市民で成り立っているということです。 日本の政治家には、唯一の戦争被爆国の代表として、もっともっと平和外交に努めてほしいと思います。
 定時開催の講話では、来場者の方に熱心に聴いていただけたら(うれ)しいのですが、聴いたことをどのように自分たちの生活に持ち帰っておられるのかは分かりません。 私の願いが伝わっていればいいなと思います。 私は日本語と英語で講話を行っており、来場者が少ない場合は講話を始める前に声かけをします。 外国人の方は素直に入場してくださるのですが、日本人の方には断られることが多いのが現状です。 私は、日本人の方にこそ、広島の惨劇を知っていただき、考えていただきたいと思います。 唯一の戦争被爆国の国民として、私たちこそ、もっと平和推進活動を積極的にやらなければいけないと思うのです。
英語で講話を行う尾崎さん
古賀(こが)q子(としこ)さん (平成27年度から活動)
 私は1945年生まれで、生まれた年の8月6日に広島市内で被爆しました。 赤ちゃんでしたから被爆の記憶はありませんが、私の母を含め、沢山の人が悲しい、苦しい体験をしています。 その生々しい、恐ろしい話や苦労した話を家族が話しているのを、私は涙の出る思いで聞いて育ちました。
 段々と被爆者も減少していく中で、悲惨な原爆の歴史を風化させてはならないとの思いがあり、定年退職後、被爆体験伝承者の募集があった際に応募しました。
 私は岡田(おかだ)恵美子(えみこ)さんの被爆体験を伝承しています。 伝承講話の内容は、 @原爆の被害の実相、 A岡田さんの被爆体験、 B私の被爆体験、 C私からのお願い、 の順に進めています。
 岡田さんは8歳の時、爆心地から2.8kmの自宅で被爆しました。 12歳のお姉さんは当日の朝、建物疎開作業に元気よく出て行ったまま帰って来ず、犠牲になりました。 庭に出て飛行機に手を振っていた弟さんは大やけどを負い、お母さんはガラスの破片が体中に刺さって大けがをしながらも、弟さんと恵美子さんを連れて広島駅の北にあった東練兵場(ひがしれんぺいじょう)へ避難しました。 その時の余りにも悲惨な地獄の光景を講話で語ります。 岡田さんは、「今でも赤く染まった夕焼けを見ると、あの時の事を思い出すので、夕焼けは嫌いです。」と言われます。 また講話では、広島駅周辺などに2,000人から6,500人の原爆孤児がいたこと、原爆は未来のある大事な子ども達の人生を大きく変えたという事実を語ります。 岡田さん自身も、放射線の影響で再生不良性貧血になったのです。
 私の被爆体験は、庭で乳母車に寝かされていた時、ものすごく強烈な爆風で遠くまで吹き飛ばされ、奇跡的に助かった体験です。 母が守ってくれたおかげで今の自分があるのだと感謝しています。 私は3年前、乳(がん)を患いましたが、体調は回復しています。
 最後に、私からのお願いを話して講話を終わります。
腹話術を取り入れて講話を行う古賀さん
 昨年より県外の学校への派遣も増えました。 講話の導入部分では、以前保育士として働いていた時に培った、人形を使った腹話術を取り入れるなどの工夫をして、内容的に子どもに分かりやすいような話し方をしています。 また、45分間の時間内で講話を終えるよう心がけています。 伝承者としての初年度だった平成27年度には、広島の被爆地図一枚を掲示して講話を行っていましたが、今は、原爆の被害の実相などをプレゼンテーションソフトを使用して説明しており、「原爆の悲惨さがよく分かります」などの感想文もいただいています。 反省点もありますが、今後の私の勉強にもなっています。
 被爆体験証言者の岡田恵美子さんの“二度と広島のような恐ろしい体験を繰り返してはならない”という思いと、“平和のために自分ができる行動を起こして欲しい”という思いを伝えていく事が、伝承者の使命と思っています。 核兵器を造り出したのが人間であるなら、平和を守っていくのも人間です。
 同じ内容の講話を行っても、その都度、聞く人の反応に多少の差があります。 人の心に響くよう、一回一回心をこめて話すよう努力しています。 年を重ねても元気で伝承者の活動が続けられるよう、頑張っていきたいと思います。
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