追悼平和祈念館 令和2年企画展
時を超えた兄弟の対話
―ヒロシマを描き続けた四國五郎と死の床でつづった直登の日記―
場所 追悼平和祈念館 地下1階 情報展示コーナー
期間 令和2年(2020年) 1月1日(水)〜 12月29日(火)
 画家としての才能を、反戦・核廃絶を訴えることに全て捧げた四國(しこく)五郎(ごろう)(1924-2014)。 そのきっかけは、最愛の弟・直登(なおと)(1927-1945)が原爆により18歳で短い生涯を閉じたことでした。
 「死んだ人々に代わって絵を描こう。戦争反対・核兵器廃絶を。芸術になろうがなるまいが…」弟の死が兄にこう決意させたのです。
 終戦間近、兄・五郎は満州(まんしゅう)へ渡り関東軍に入隊、弟・直登は広島で招集され、市内で警備の任務に就いていました。 約千キロ離れた場所で、5人兄弟で最も仲の良かった2人は、お互いの無事を思い続けたのです。
 企画展では、被爆当日から亡くなるまで、病床でつづられた弟・直登の日記を中心に、兄・五郎の追悼文や作品を紹介しながら、時を超えた2人の対話を再現します。
【展示内容】
(1) 映像展示(大型3面映像、約30分)
 1945年8月6日、四國直登は爆心地から約1キロの幟町(のぼりちょう)の臨時兵舎で被爆。 左脚に重傷を負い2日後に帰宅しますが、母や弟の懸命な看病もむなしく8月28日に亡くなりました。 直登はその過程を毎日欠かさず日記につづっていました。 3年間のシベリア抑留から帰国し、弟の被爆死を知った五郎が、この日記を読んで直登と対話するように思いを語ります。
 女優の木内(きうち)みどりさんが五郎と直登の二役を演じ、映画監督で俳優の塚本(つかもと)晋也(しんや)さんがナレーションを務めます。
(2) 情報端末での展示(日本語、英語、韓国・朝鮮語、中国語の4言語で閲覧ができます)
 ・四國五郎は、亡き弟をしのんで多くの著作を残しています。 直登に捧げた詩「弟への鎮魂歌」を含む全6編を紹介します。
企画展チラシ
 ・四國五郎は、人間の最も根源的なものである母と子のつながりが平和を下支えすると確信し、母子像を描き続けました。 広島の橋などの作品と共に「四國五郎作品ギャラリー」でご覧いただけます。
(3) 四國五郎の実際の作品を10数点展示します。
(4) 講演会や屋外イベントの開催も企画しています。
 2020年のお正月からの開催です。みなさまぜひご来館ください。

(原爆死没者追悼平和祈念館)

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