和文機関紙「平和文化」No.208, 令和4年1月号

「原爆の絵」が完成

高校生たちが被爆体験を絵に描く
 本財団は、広島市立基町(もとまち)高等学校普通科創造表現コースの協力を得て、被爆者と同校生徒が協働して被爆時の記憶に残る光景を描き、当時の状況を伝える「原爆の絵」の制作に取り組んでいます。
 令和2年度から10人の被爆者と18人の生徒が制作を進め、このたび、19点の絵が完成しました。 平成19年度(2007年度)に初めて制作を依頼して以来、140人を超える生徒が携わり、171点もの貴重な絵を残しています。
 昨年7月5日に基町高等学校で完成披露会が行われました。 新型コロナウイルス感染症対策を徹底し、9人の被爆者(1人欠席)と、絵を制作した生徒を始めとする創造表現コース生徒のほか、本財団及び基町高等学校関係者が出席しました。
 証言者の新井俊一郎(あらい しゅんいちろう)さんと、2年生の山田紬生(やまだ つむぎ)さんは、『私は原爆炸裂(さくれつ)の瞬間、凄まじい閃光(せんこう)と避退するB29を見た』という作品を制作しました。 山田さんは完成披露会の前日まで制作に取り組んでいたそうです。
 新井さんは、原爆投下当日の朝、東広島市の八本松(はつほんまつ)駅から原爆炸裂の瞬間を目撃しました。 目線上で炸裂を目撃した数少ない記録として絵を描いてもらおうと決めたとおっしゃっていました。 山田さんが見たことも聞いたこともないであろうB29爆撃機を描くのは、我ながら無理な注文だろうと当初は思われたそうです。 しかし対話を重ね、修正を重ねて作品が完成し、披露できることを大変嬉(うれ)しく思うと同時に、山田さんを始めとする制作に関わった人に感謝を伝えたいと話してくださいました。
制作:山田紬生、新井俊一郎
『私は原爆炸裂の瞬間、凄まじい閃光と避退するB29を見た』
制作:山田紬生、新井俊一郎
 山田さんは、原爆の絵の制作に携わることは大人になってからも活かせる生きた経験になると考え、参加を決意したそうです。 絵のポイントである原爆の光を表現するのが難しく、新井さんと一緒に資料映像を何度も見たそうです。 それでも不安があったそうですが、新井さんからアドバイスを受けて修正を重ね、新井さんが実際に見た光景に近づけることができたと話していました。 山田さんは「この絵を見た人に少しでも原爆の悲惨さが伝わればと思う」という言葉で完成披露のスピーチを締めくくりました。
 このたびの制作では、昨年に引き続き、コロナ禍で生徒が被爆者の話を対面で聞くことができない中、電話で打ち合せをしたり、絵の進捗状況を写真で伝えたりしました。 写真と実物では色や見え方に違いがあり、意思疎通に苦労もあったようです。 被爆者と生徒のこうした努力により完成した「原爆の絵」は、被爆体験をより深く理解してもらうため、証言者による被爆体験講話で活用するほか、絵の貸出や、マスコミ等への画像データの提供なども行い、被爆の実相を後世に継承するために今後とも役立てていきます。
(平和記念資料館 啓発課)
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