平成27年 追悼平和祈念館企画展
 原爆の子
 広島の少年少女のうったえ

期間: 平成27年1月1日 〜 12月28日
場所: 追悼平和祈念館 地下1階 情報展示コーナー
入場: 無料
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、被爆の実相を伝えるため、毎年テーマを定めて企画展を開催し、被爆体験記や追悼記などを展示しています。
  今年も昨年に引き続き、教育学者で広島大学教授だった長田(おさだ)(あらた)氏が原爆投下から6年後に編纂(へんさん)した『原爆の子 広島の少年少女のうったえ』のなかから、被爆時小学校4年生以上の子どもたちによる被爆体験記38編を紹介しています。
  昭和20年8月6日、一発の原子爆弾により広島の街は一瞬にして破壊され、多くの尊い生命が無差別に奪われました。 子どもたちもまた、原爆の犠牲者でした。 「原爆の子」では、家族を失った悲しみ、生活の困窮、そこから雄々しく成長しようとする子どもたちの思いがつづられています。
  今回、展示している被爆体験記の中から、升岡(ますおか)直子(なおこ)さんと武内(たけうち)健二(けんじ)さんの体験記(抜粋)をご紹介します。
升岡さんは当時、中学生。 学徒動員(がくとどういん)により建物疎開(たてものそかい)の作業に出かけたところでした。
……不意に気がつくと、あたりは真暗で、私は地上に押し倒されていた。 もうもうと立ちこめる埃に息もできない有様である。 (中略)起上ろうとすると、足の方で誰か人の身体に触る感じがした。 「お母ちゃん、お母ちゃん、助けて」と泣き叫ぶ声。 私も泣いていた。 自分はこのまま死んで行くのかも知れない。 灰の中に身を焼いてしまうのかしら。 無意識に「死にたくない」とあせる心。 どっちに逃げてよいか見当がつかない。 その間に目の前が少し明るくなった。 友の姿を見て驚いた。 血まみれになっている人、火傷して皮膚が真赤になっている人。 普通ならすぐに目をそらせたくなるような姿である。 私の黒く焼けただれた手からは、油が汗のように流れている。……

武内さんは、当時、小学生。縁故(えんこ)疎開で広島を離れており、姉から家族の被爆状況を聞きました。
『原爆の子』初版本 (1951年/岩波書店)
……父はすぐ姉を大芝公園に逃がし、近所のおじさんたち四、五人をよびあつめ、丸太をさしこんで柱を動かそうとしたが、微動だもしない。 そのうち火勢はどんどんひろがってきて目前にせまり、火の粉が父のところまでふってきて、いつの間にか父一人になってしまった。 その時母は、すき間から手を出して、「わたしはもう助かりません。もう、だめ。だからあなたは、どうしても逃げてちょうだい」と悲痛な声でいった。 その時父は、「何をお前はいうのか。お前を捨てて逃げられるか。お前が救われないなら、おれもここでお前と一緒に死ぬ」といって、柱を押しあげるべく最後の努力をしていた。……

体験記の続きは、館内の企画展会場と体験記閲覧室で読むことができます。 また、当館のホームページ>>に3人の方々の体験記を掲載しています。
  会場では、体験記とともに、被爆直後に撮影された写真や被爆者が描いた絵、子どもの衣服等の被爆資料も展示しています。 また、体験記を、関連する写真や絵を用いた映像と音声で紹介しています。 この映像については、過去の企画展で制作したものも含め、体験記閲覧室で視聴することができます。 また、映像は平和学習資料として、DVDでの貸出しも行っておりますので、ご希望の方は当館までお問い合わせください。
  体験記を通じて、被爆者の「こころ」と「ことば」にふれてください。
長田新氏(編者)から、子どもたち(執筆者)に1冊ずつ、『原爆の子』が手渡された。(1952年)/提供:早志(はやし)百合子(ゆりこ)

【お問い合わせ】 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
TEL (082)543−6271

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