被爆体験記の執筆をお手伝いしています
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国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、被爆者の高齢化が進むなか、「被爆の記憶を体験記に残したいけど、自分ひとりでは文章にまとめられない」という方のために、被爆体験記執筆補助事業を行っています。
この事業は、祈念館職員が自宅等に出向いて被爆体験を聞き取り、体験記としてまとめるもので、平成18年度から実施し、平成26年度までに103名の聞き取りを行いました。
平成27年度は13名の聞き取りを行い、順次、被爆体験記を完成させ、館内で公開しています。
また、企画展やホームページ掲載、多言語化、公的機関への提供等に活用しています。
今年度は被爆70周年の節目の年にあたり、被爆者の方々も「今、語り残しておかなくては」とのお気持ちが強く、募集開始から多くのお申し込みをいただきました。
被爆の体験は昨日のことのように脳裏から離れることがなく、被爆当時の悲惨さを記憶の奥から絞り出すように語られます。
今まで心の奥底に秘めていた思い出したくない体験を初めて話される方も多く、特に若い世代に体験を伝え、二度と繰り返してはならいという強い使命感を持って、応募されています。
今回、執筆をお手伝いさせていただいた体験記から、近藤齊さん(当時14歳)の体験記(抜粋)をご紹介します。
近藤さんは、学校で被爆しました。
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・・・校庭に入って校舎と校舎の間を歩いていたときです。
ドンと大きな音がして、ガラガラ、ドタンドタンと2階の屋根瓦が落ちてきました。
これはおかしい。
きっとこの近くに爆弾が落ちたと思いました。
木造の校舎は倒壊し、板壁がめくれるようにはがれて裏返しになり、止めくぎが上を向いていたため、私は逃げる途中にそのくぎを踏み抜きました。
もう少し歩く場所が違っていたら、屋根瓦の直撃を受けるか、ガラス片を浴びるところでした。
校舎の陰でやけどもしないですみました。
しかし、後から来た級友たちは皆大やけどを負っていました。
夏服の半袖
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聞き取りの様子
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を着ているため、皆、ボロボロの皮膚を垂れ下げ、肘から下はズルズルの状態でした。
みんなの手当てをしなければいけませんので、倒壊を免れた教員室の隣の医務室へ窓を壊して中に入り、油薬・赤チン・ヨウチン・包帯等を取り出し、それを外にいる者に手渡して応急手当をしました。
しかし、薬を塗ると皮膚がズルズル剥がれどうにもなりませんでした。(後略)
当館では、この事業によるものを含め、現在、約135,000編の被爆体験記を公開しています。
ぜひ、ご来館いただき、被爆者の「こころ」と「ことば」にふれてください。
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(原爆死没者追悼平和祈念館) |
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