和文機関紙「平和文化」No.197, 平成30年3月号

県外・国外在住被爆者証言ビデオを収録しました

 原爆死没者追悼平和祈念館では、国内(県外)や海外で生活されている被爆者の証言を収録しています。
 今年度は、国内では、北海道(5人)、栃木県(1人)、埼玉県(2人)、千葉県(2人)、東京都(1人)、神奈川県(1人)在住の被爆者の証言を、海外では、韓国(3人)に加えて新たに米国(3人)在住の被爆者の証言を現地で収録しました。
収録の様子
収録の様子

「似島へ行ったんですよね。…広島の方からどんどんどんどん機帆船がエンジンかけて来るんですよ。そして近くになったら、なんか鳴き声やら何やら、悲鳴やら聞こえるんですよね。そして、のぞいたらもう、人間ではないんですね」

「もう熱いからとにかく川に飛び込んだと。飛び込んで泳いで上がって、また熱いので、川にまた飛び込んで上がって来て、だからもうかなり顔ももうこんなふうにふくれ上がってますし、大きくなってましたので、私はそれが、あの一緒に朝出かけた兄だっていうのは全く分からなかったんですよね」

「防空ごうのふたを開けてみたら、中にね、もう何十人も入っているわけですよ。ところが全部人間が蒸し焼きになっているんですよね。その亡くなった人たちの形相は本当にいかに苦しんだかっていうふうにね、自分で胸をかきむしったり。それから壁の、昔の、一応コンクリートです。それに爪痕が付いているんです。むしったね。余りの苦し紛れのためにね」

「中学で言うと一年生か二年生ぐらいの子どもが多いんですけど、全部服も破れて、裸で歩いている者もいるんですが、みんな皮がこう爪の線で止まったり、あごの線で止まって。目はよく見えてないだろうけど、みんな歩くんです。…中には、手首が飛んで、骨だけで。あとはまだしっかり肉体がついているのにそれで痛みを感じないで逃げていく子どももいるし」

 これは、この度収録した証言の一部です。
 この度新たに収録した米国在住日系人被爆者の証言においては、日本人でもあり米国人でもある日系人として日米2か国のはざまにおかれた境遇や心情についても語られています。
 収録した映像は、編集後、館内及びホームページで公開するとともに、平和学習資料として貸出しをする予定です。
 今後も、国内・国外を問わず、貴重な被爆証言を少しでも多く収録し、後世に伝えていきたいと考えています。

(原爆死没者追悼平和祈念館)

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