和文機関紙「平和文化」No.199, 平成30年11月号

「収蔵資料の紹介」コーナーで「お母さんに会いたい」を開催しています

展示場所  平和記念資料館 東館1階 企画展示室
展示期間 平成30年7月12日(木)~約1年間
展示資料 軍手など実物資料10点

 「収蔵資料の紹介」コーナーでは、平和記念資料館で収蔵している約2万点の資料の中から、テーマに沿って数点ずつを展示しています。
 1945年(昭和20年)8月6日、1発の原子爆弾により、広島のまちは一瞬にして廃虚(はいきょ)と化しました。 大量の放射線を浴び、体を焼かれ、多くの人々が苦しみながら亡くなりました。 親たちは愛するわが子を残し、その身を、その将来を案じながら、死んでいきました。 残された子どもたちは頼るべき支柱を失い、途方に暮れ、悲しみに暮れました。
 亡くなった親の年齢を超えた子どもたちにとって、その記憶は、時を経ても、大きな喪失感とともに心に刻みつけられています。
 今回は、母親の遺品を中心に、遺族の思いと合わせて紹介しています。
母・敏子(死亡時34歳)、長女・眞紀子さん(当時7歳)
母・敏子(としこ)さん(死亡時34歳)、
長女・眞紀子(まきこ)さん(当時7歳)
敏子さんが被爆時に身に着けていた軍手
敏子さんが被爆時に身に着けていた軍手
(髙木尊之(たかぎ たかゆき)氏 寄贈)
 母は、横になっている間、化のうしたやけどの傷がくっついてしまうまで、妹の眞紀子を離さなかったそうです。 そして、疎開中で最期まで会えなかった私のために、死の間際まで「写真を(撮って)!」と叫んでいたと聞きました。
(二男・恭之(やすゆき)さんのお話より)

(平和記念資料館 学芸課)

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