平和について思う
核絶対否定の真理の共有を
核兵器廃絶をめざすヒロシマの会 共同代表 森瀧 春子
プロフィール
〔もりたき はるこ〕

核兵器廃絶をめざすヒロシマの会・共同代表(2001~)、核兵器廃絶日本NGO連絡会・共同世話人(2010~)、NO DU(劣化ウラン弾禁止)ヒロシマ・プロジェクト・事務局長(2003~)、ウラン兵器禁止国際連合(ICBUW)・運営委員(2004~)、世界核被害者フォーラム・事務局長(2014~)、広島大学非常勤講師(2015-2016)。 広島平和文化センター評議員。 2018年、谷本清平和賞受賞。

 核兵器を国際法で禁止する核兵器禁止条約が2017年7月に国連で採択されて以来、その発効までの生みの苦しみが続いています。 また、新たな国際緊張の中で核戦争の危機は高まり、核をめぐる状況は極めて厳しくなっています。
 このような時期に、原爆、核被害の実態をさらに明らかにする調査研究の追求と継承が、色々な分野で試みられています。 被爆者、若者、研究者、反核運動に携わる人々、被爆地の行政が連携し、地道に活動していく中で、その担い手・継承者が育まれていくことこそ、「ヒロシマ」に期待されています。
 核開発時代がもたらしてきたものは、ウラン鉱山開発、核兵器製造、世界各地での核実験による核被害、原爆が実用された核戦争。 人類史上未曽有(みぞう)の非人間的悲惨の極みをもたらしてきました。 同時に核は、エネルギー源としての原発によって大事故を引き起こし、取り返しのつかない核被害をもたらしてきました。 核兵器や原発用に濃縮されたウランの残滓(ざんし)までが、劣化ウラン兵器として戦場で使用され続け、被害を拡大しています。 人類が作り出した負の遺産に終わりを告げるためには、まず、「現実」を明らかにすることがカギとなります。
 世界中から、核実験をはじめ、あらゆる核の被害者が広島に集い、被爆70周年に開催した「世界核被害者フォーラム」で、「世界核被害者人権憲章」を発したのも、その努力の1つです。 核戦争の被害地に課された重い責任があるゆえでした。
 被爆後、広島の先人達・被爆者は、「核と人類は共存できない」、「人類は生きねばならぬ」との理念に、その未曾有の非人間的悲惨の被爆体験から到達し、反核の闘いを担ってきました。 「核を絶対に否定する」とは、現実的には「核兵器を廃絶する」、「原発を廃絶する」ということです。 私自身もヒロシマ・ナガサキから74年目を迎える今日まで、その実現のために懸命に闘いながらも、時には絶望的に遠い目標だと感じることもありました。
 しかし1999年の対人地雷(じらい)禁止条約、さらに2008年のクラスター爆弾禁止条約が、市民と志のある国々の連携で実現するのを見届けた時、「これだ! 核兵器も劣化ウラン爆弾も、このプロセスで廃絶していけばいいのだ!」と確信しました。 2009年以来、非人道兵器である「劣化ウラン兵器禁止条約を!」、「核兵器禁止条約を!」とヒロシマから国内外に訴え、国際法で法的に禁止する運動を進めてきました。
 2013年のオスロ、2014年のメキシコに続く、2014年12月のウィーンでの第3回目の「核兵器の非人道性を問う国際会議」には私も参加しました。 ウィーン会議では非人道的兵器・核兵器の法的な禁止を、という流れが大きくなり、明確化し、市民社会と有志国が連携した進め方は、まさにクラスター爆弾禁止のプロセスを踏まえるものであり、私は新たな確信と希望を得て、核を国際法で禁止し、葬り去るため力を振り絞ろうと決意をもって帰広したのでした。
 2017年3月と6~7月には、国連で核兵器禁止条約交渉会議が開かれました。 そこで、反核を訴えてきた原点・ヒロシマから、声を1つにして世界に「今こそ核兵器禁止条約を!」と訴えかけようと、被爆者団体をはじめ反核市民団体に呼びかけ、27の団体が結集し、市民集会や原爆ドーム・キャンドルメッセージの集いを持ちました。 共同声明を発し国内外に届けると共に、≪BAN NUKES NOW! 2017≫ を広島市民が千本のキャンドルグラスの灯りで描きだし、その写真を国連関係者、国際NGOなどに届けて連帯し、国際的に大きな反響を得ました。
原爆ドーム前から世界に・1000本のキャンドルで描く(2017.6.15)
《BAN NUKES NOW! 2017》 (今こそ核兵器禁止条約を!2017)
 米国をはじめとする核保有国や、日本など核抑止力に依存する国々は、国連での核兵器禁止条約採択に反対し、禁止条約の発効を何とか潰そうと躍起になっています。 米トランプ政権は、2018年2月のNPR(核態勢の見直し)による小型核兵器の実戦使用宣言に始まり、2019年2月のINF(中距離核戦略)全廃条約脱退に至る、核戦争への道を突き進んでいます。 被爆国日本の政府は禁止条約に真っ向から反対するとともにNPRを高く評価し、国際社会からの不信の的になってきました。 しかし、もはや「法的に禁止する」という国際的潮流は止めることはできず、禁止条約は70か国の署名、22各国の批准に至っています。 (2019年2月25日現在)
 広島で生まれ育った私が見てきた戦争被害、核被害は、アメリカの広島原爆投下によって引き起こされた無辜(むこ)の民の無残な死、それに続く生き残った被爆者の病魔との闘い、「遅れた死」、そして原爆孤児や原爆孤老などをもたらす人間関係の破壊でした。
 しかし、核による被害はそれだけではなかったのです。 核利用サイクルのあらゆる場面で核被害を引き起こしてきました。 その現実をインドのウラン鉱山で、ネバダの核実験場で、イラク戦争の劣化ウラン弾の被害調査現場で、福島の原発事故の被害現場で、私は突きつけられてきました。 厳しい現実との闘いに全エネルギーをかけながら、数十年、駆け抜けてきました。
 「核絶対否定」は、巨大な核権力、国家権力との闘いに他ならないと思い知らされました。
 ささやかな命の灯りが消えない限り、私は先人たちの闘いを引き継いでいきます。 そして、若者たちが確実に、力強く担っていくと信じています。
(平成31年2月寄稿)
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