和文機関紙「平和文化」No.210, 令和4年10月号

父と子の関係を描いた「原爆の絵」

娘の遺体を火葬する父親
① 娘の遺体を火葬する父親
(1945年(昭和20年)8月7日夕方/石風呂環作)
 
硬直した息子の遺体を自転車に乗せて運ぶ父親
② 硬直した息子の遺体を自転車に乗せて運ぶ父親
(1945年(昭和20年)8月7日、爆心地から900m、小網町(こあみちょう)付近/石田晟作)
 広島平和記念資料館では、約5,000 枚の「市民が描いた原爆の絵」(以下、「原爆の絵」)を所蔵しています。 資料館本館「絵筆に込めて」のコーナーでは、その原画を展示しており、展示による劣化を防ぎ長期的に保存していくため、半年ごとにテーマを決めて入れ替えを行っています。 今回は、被爆後の父と子の関係を描いた絵を展示しています。
娘の遺体を火葬する父親
① 娘の遺体を火葬する父親
(1945年(昭和20年)8月7日夕方/石風呂環作)
 ①の絵には被爆死した3歳の娘の遺体を自らの手で火葬する父親が描かれています。 これは絵の作者自身の体験を描いたものです。 作者の石風呂環(いしふろ たまき)さんは、原爆投下当日、広島市内の妻の実家に9歳の次男と3歳の長女を預け、妻とともに鉄道で郊外に出かけていました。 異変に気づき市内に戻り、翌日に娘の遺体を引き取り、火葬したといいます。
硬直した息子の遺体を自転車に乗せて運ぶ父親
② 硬直した息子の遺体を自転車に乗せて運ぶ父親
(1945年(昭和20年)8月7日、爆心地から900m、小網町(こあみちょう)付近/石田晟作)
 ②の絵には、建物疎開の作業現場で被爆死した息子の硬直した遺体を、自転車の荷台に載せて運ぶ父親の姿が描かれています。 この遺体の少年と同じ中学校の生徒だった作者の石田晟(いしだ あきら)さんは偶然この様子を見かけ、声をかけられずじっと見ていたといいます。
 これらの絵を含めた6点を、令和5年2月13日まで展示する予定です。
(平和記念資料館 学芸課)
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