和文機関紙「平和文化」No.210, 令和4年10月号

「原爆の絵」11点が新たに完成

―高校生たちが被爆体験を絵に描く―
 本財団は、広島市立基町(もとまち)高等学校普通科創造表現コースの協力を得て、被爆者と同校生徒が協働して被爆時の記憶に残る光景を描き、当時の状況を伝える「原爆の絵」の制作に取り組んでいます。
 このたび、6人の被爆者と11人の生徒が令和3年度から制作を進め、11点の絵が完成しました。 これまで平成19年度(2007年度)に制作を依頼して以来、150人を超える生徒が携わり、182点もの貴重な絵を残しています。
 今年7月1日に基町高等学校で完成披露会が行われました。 新型コロナウイルス感染症対策を徹底し、6人の被爆者と、絵を制作した生徒を始めとする創造表現コース生徒のほか、本財団及び基町高等学校関係者が出席しました。
 被爆体験証言者の八幡照子(やはた てるこ)さんと、川畠芽衣(かわばた めい)さん(3年生)は、『お骨が入った紙袋』という作品を制作しました。 八幡さんは、原爆投下の3日後、避難所となっていた己斐(こい)国民学校の校門の近くで、白い紙袋が机に並べられているのを見つけました。 食べるものも無くお腹がぺこぺこだった当時8歳の八幡さんは「お菓子配ってる!」と飛んで行ったそうです。 しかし、行って見ると袋の中身は校庭で火葬された方の遺骨で、家族を探しに来た肉親がせめてもの供養にと持ち帰っていたことを後になって聞きました。 ここで火葬された方の多くは、建物疎開作業中に亡くなった学生だったことを知り、「時代を耐えて生きた子供たち。どんなに苦しかったことか。生きたくても生きられなかった人がいた」と悔しく思われたそうです。 八幡さんは命の尊さを伝えたいとの思いからこの絵の制作を決めたとおっしゃっていました。 完成した絵を見て、家族を探しに来た人の悲しみ、遺骨を引き渡す人の戸惑いと家族の悲しみに対する共感が伝わってきて、涙が止まらなかったそうです。 絵の力に感動するとともに制作した川畠さんに感謝したいとおっしゃっていました。
「お骨が入った紙袋」
「お骨が入った紙袋」
制作:川畠芽衣(基町高等学校普通科創造表現コース)、八幡照子(被爆体験証言者)
 絵を制作する生徒は当時の様子を再現するために、過去に制作された「原爆の絵」や平和記念資料館の情報資料室などを活用しています。 川畠さんは、遺骨が配られている当時の資料が見つからず、情景を想像するのが難しかったと話していました。 家族を失った人は誰のものかも分からない骨を持ち帰ることしかできないことが、戦争の恐ろしさや残酷さを表していると感じたそうです。 この絵を通じて「核兵器は使用してはいけないし、所持してはいけない。戦争を起こしてはいけないということが多くの人に伝わればいいと思う」と完成披露でのスピーチを締めくくりました。
 このたびの制作では、昨年に引き続きコロナ禍で生徒が被爆者の話を対面で聞くことができない中、電話や郵便を通して、絵の進捗状況を伝えました。 実際の絵の色と印刷した色では違いがあり、制作終盤の細かい調整には苦労もあったようです。 被爆者と生徒のこうした努力により完成した「原爆の絵」は、被爆体験をより深く理解してもらうため、証言者による被爆体験講話での活用のほか、絵の貸出や、市民やマスコミ等への画像データの提供なども行い、原爆被害の実相を後世に継承するために今後とも役立てていきます。
(平和記念資料館 啓発課)
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