和文機関紙「平和文化」No.210, 令和4年10月号

核をめぐる「理想」と「現実」のはざまで:あらためて「ヒロシマ」の役割を考える

川野 徳幸

広島大学平和センター センター長・教授
広島大学平和センター
センター長・教授
川野徳幸先生

 2022年2月24日、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を始めた。 この軍事侵攻は、私たちを三つの分岐点に立たせ、「理想」と「現実」とのギャップを再認識させているように思える。 同時に、「核なき世界」を標榜(ひょうぼう)する「ヒロシマ」に重い課題を突き付けているようにも思える。 広島が「ヒロシマ」であり続けるのか。 この重要かつ重い命題にどのように応えるのか。 広島が必ずしも望まない「現実」を一般の多くの国民が選択し、ある意味、孤立してでも「ヒロシマ」・「ナガサキ」は「核なき世界」という理想を追求し、訴え続けるのか。 今、その孤立に対する覚悟をも問われているのかもしれない。
 まず、三つの分岐点について考えてみたい。 一つは、核兵器に対する考え方である。 核兵器の脅威に対し、「核抑止」に依存するのか、あるいは「核なき世界」の実現を目指す核兵器禁止条約のような国際規範を追求するのか、という意味での分岐点である。 二つ目は、原発の是非についての分岐点である。 自国のエネルギーは原子力ででも賄う必要があるとする考えと今般のザポリージャ原発のように、制圧され危険に晒(さら)されるという脅威をどのように考えるのか。 三つ目は、国際協調主義に対する考え方である。 第二次世界大戦後、外交による国際協調主義を模索し続けた国際社会が、武力による社会へと回帰するのか否かという分岐点である。
 これら分岐点は、「理想」と「現実」のはざまにある。 私たちは、常に「理想」と「現実」のはざまで浮遊し、それらと共存し、かつ両者の微妙なバランスの上に立っている気がしてならない。 多くの人は、それを自然に受け入れ、またある人はそれをジレンマと感じているのかもしれない。 核兵器に関して、これらのことを考えてみると、「核なき世界」、そしてそれを実現する国際条約である核兵器禁止条約が「理想」で、日米安全保障体制・核の傘・核抑止が「現実」と捉えることができよう。
「理想」と「現実」のはざまで
 
 学生の平和観について、2020年より、読売新聞と弊センターファンデルドゥース准教授と共同調査研究を進めている。 そこでもやはり、この「理想」と「現実」の実態が浮き彫りになった。 ごく一部を紹介すれば、広島大学、長崎大学を含む全国8大学で約千人を対象とした2021年調査では、9割弱が「日本は核兵器禁止条約に参加(署名・批准)すべき」と回答する一方で、半数以上が「核兵器廃絶の可能性は低い」と回答し、約4割が「核の傘」にある現状に対して理解を示した(川野徳幸、ファンデルドゥース ルリ、「被爆76年学生平和意識オンライン調査」の集計結果、『広島平和科学』43、129-143、2021)。 さらには、この軍事侵攻後に実施した2022年調査では、核兵器そのものについては、約8割が廃絶・削減が必要と回答した一方で、全体の約75%が今後の核兵器使用の可能性は高いと回答した。 これは、昨年の同調査から13ポイント上昇している。 また、日本が米国の核の傘に依存することにも8割強が「理解できる」、「仕方ない」と回答した(2022年7月31日・8月1日付『読売新聞』)。 このように、この軍事侵攻は、私たちの「理想」と「現実」の乖離(かいり)をより大きくし、両者の間にある葛藤を深刻にしている。 今後、「現実」、つまり「核抑止」への依存、そして軍事費の増額という方向にかじを切る可能性も小さくないことも暗示しているのかもしれない。
 「理想」と「現実」との共存は、多くの日本人に自然にある感覚なのかもしれない。 他方、「核なき世界」という思想を牽けん引いんし続ける被爆者には、これはジレンマであると言えるだろう。 2015年実施の朝日新聞アンケート調査によれば、9割以上の被爆者が「核なき世界」の実現を切望しながら、同時に、4割以上が、「核の傘」にある日本政府の立場を「やむを得ない」と回答した(同年8月2日付同紙)。 今般の軍事侵攻によって、この葛藤はより深刻になっていることは容易に想像がつく。
 「理想」のない社会に未来はあるのか。 ユートピア的な社会を語ることは、現実回避であるという意見は少なくないだろう。 そうであれば、市民社会の英知の集結であろう核兵器禁止条約は何故、120か国以上の賛成により国連で採択され、発効されたのか。 現実的でないとして、「理想」を排除することはたやすい。 しかしながら、「理想」のない、「理想」を語らない社会を次世代に残してよいのだろうか。 核兵器禁止条約の発効に至る市民社会の運動を鑑みると、こういった市民社会の諸活動、さらにはその成熟がいかに重要であるかを明示している。 個々の思いが、市民社会の中で醸成され、成熟して、大きな塊となり、国際平和の実現に寄与する。 もはや「平和」の担い手は、国家だけではなく市民、そして市民社会である。 8000都市以上が加盟する平和首長会議に大いに期待する所以である。
 日本は、先の大戦で300万人以上の犠牲を払い、原子爆弾によって甚大な被害を受け、戦争の痛みをよく知るはずである。 さらには、憲法において「国の交戦権は、これを認めない」とうたう。 「唯一の戦争被爆国」日本、そして被爆地「ヒロシマ」・「ナガサキ」は、戦争による痛み、原爆被爆による痛み、を世界に向けて提示し続ける責任がある。 これまで数多の戦争・紛争に対して、「対岸の火事」として捉える傾向にあったこの日本でもウクライナへの防弾チョッキなどの防衛装備品の供与に加え、防衛費の増額も議論され始めた。 あの敗戦を基盤にしたこの国の「平和」はこれからどこに向かっていくのか。
 私たちは、新型コロナウイルス感染拡大というパンデミックを経験し、ロシアのウクライナへの軍事侵攻の様子を連日目の当たりにしている。 期待が寄せられていた本年8月のNPT再検討会議でも最終文書案の採択には至らなかった。 世界は激動と混こん沌とんの中にある。 こういった時代であるからこそ、今一度、冷静に「平和」とは何かを問い直し、「理想」を語り、「理想」に向けて努力する社会の構築を目指したい。 「核なき世界」と「世界恒久平和」を標榜し、「国際平和文化都市」を目指す広島には、そういった社会の構築の中心的な役割を担ってほしい。 そして、それは広島が「ヒロシマ」であり続けるには、必要なことだと思えてならない。
本稿は、『広島大学平和センター CPHU NEWSLETTER 2022』のセンター長挨拶、『らしっく』Vol.63青梅雨号2022.7(公益財団法人広島市文化財団)の「らしっくコラム」、及び『大学時報』第407号(日本私立大学連盟)の特集記事(印刷中)に修正加筆したものである。
(2022年9月)

プロフィール
〔かわの のりゆき〕
広島大学大学院医歯薬学総合研究科博士課程修了 博士(医学)。
広島大学原爆放射線医科学研究所助手・助教、同大平和科学研究センター准教授を経て、2013年6月から同教授。 2017年4月より同センター長併任。 専門は原爆・被ばく研究、平和学。

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