原爆により、多くの子どもたちが家族を失いました。
戦後、孤児となった子どもたちを養育する施設が相次いで設立されますが、「広島戦災児育成所」は、いち早く昭和20年(1945年)12月に広島市郊外の佐伯郡五日市町
(さえきぐん いつかいちちょう)に開設されました。
初代所長となった山下義信
(やました ぎしん)(明治27年(1894年)~平成元年(1989年))は、私財を投じて施設をつくり、その運営と子どもたちの養育にたずさわりました。
開設当時の広島戦災児育成所
(山下義信資料(山下晃(あきら)寄贈))
その後、山下義信は広島県選出の国会議員として主に社会福祉に関する法整備に精力的に取り組みました。
とりわけ戦争の犠牲となった動員学徒への補償や原爆医療法の立案に貢献しました。
今回の企画展では平成30年(2018年)に山下家よりご寄贈頂いた資料を中心に、広島戦災児育成所のあゆみと創設者である山下義信の生涯を紹介します。
展示構成
■ 学童疎開と原爆投下
■ 広島戦災児育成所と創設者山下義信
■ 政治家山下義信の活動
【お問い合わせ】
広島平和記念資料館 学芸課
TEL(082)241-4004
URL
https://hpmmuseum.jp